山の手の億万長者から教わった「お金持ちの秘訣」…16歳で社会に出た少年が100億円を持つスーパー資産家になるまで
16歳で高校を中退し、映画プロデューサーや投資家などの顔を持ち、多方面で活躍している嶋村吉洋氏。いまでは数十億円分の株式とサッカーコート1面分の不動産を持つ嶋村氏の原点は、神戸で過ごした幼少期に出会った億万長者との出会いにあるという。嶋村氏は億万長者からどのような学びを得て、どんな出発を果たしたのか。
※本稿は嶋村吉洋著『となりの億万長者が17時になったらやっていること 大富豪が教える「一生困らない」お金の仕組み』(PHP出版)から抜粋、再構成したものです。(全6回中の1回目)
第2回:なぜ会社員ほど借金をするべきなのか…資産100億円のスーパー投資家が語る「普通の人間が億万長者になる」ために必要なステップ
第3回:資産100億円投資家「ネットで知り合った人はあなたを助けてはくれない」…億万長者に必要なのは“3人の仲間”
第4回:資産100億円投資家「億万長者が家でパーティを開くたった一つの理由」…億万長者は“17時からのセミナー”にも参加している
第5回:幸せな億万長者は「直接儲かる投資」に興味を示さない…資産100億映画プロデューサーは何に投資しているのか
第6回:資産100億円のスーパー投資家が警鐘「3LDKのタワマンには投資してはいけない」…億万長者が実践する本当の不動産投資
目次
リビングにヨットを飾る億万長者
私は神戸で生まれ育ちました。父は建築関係の自営業者だったのですが、施主の一部が神戸の山の手に住んでいたのです。私は子供のころから父に連れられ、山の手の大豪邸に出入りしていました。
山の手の億万長者の人々が住む家というのは、庶民の家とまったく違います。プールやテニスコートが家にあるところもあれば、防空壕がある家にも行ったことがあります。
今でもハッキリ覚えているのは、小学生のころにお邪魔した億万長者の家のリビングにヨットが飾ってあったことです。
「リビングにヨット!?」
まったく意味不明な規格外の大豪邸だったのです。
そんな大豪邸に住んでいながら、時間的にもゆったりしている億万長者の方々に、「どのように頑張ったら、こんな生活になるのですか?」と聞けば、決まって、「商売をしている」とか、「社長をしている」という答えが返ってきます。私の身内にも社長が多かったのですが、山の手の方々とは生活がまったく違いました。
どれだけ頑張っても普通の人が億万長者になれない理由
そんな山の手の億万長者の方々が、子供の私に説明をしてくれた内容をまとめると、以下のようになります。
・仕事にはバケツ運びとパイプラインを引く2種類がある
「バケツ運びとパイプライン」というのは、私にとってバイブルにもなっている書籍、ロバート・キヨサキさんの『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント』(筑摩書房)に出てくるエピソードです。
詳しくはこの本を読んでいただければ明快なのですが、簡単に紹介しましょう。 その昔、雨が降らず、水不足で困っていた村が、エドとビルの2人に問題の解決を依頼します。
エドのほうは、真っ先にバケツを2つ買ってきて、1マイル離れた湖から、せっせと水を運び始めました。村の誰よりも朝早くに起き、必死になって村に作ったタンクを水で満たし続ける。つらい仕事でしたが、それでもエドは、村人が水を買ってくれることを喜びました。
ところは、ビルのほうは、そんなことをしません。数ヶ月、村から姿を消したと思ったら、投資家たちに出資をしてもらって水道会社を立ち上げると、建設作業員たちを使って湖から村まで水を引くパイプラインを完成させてしまったのです。
パイプラインができたら、あとは水を流すだけ。村人は料金も安く、いつでも水を使用できるビルの会社から、こぞって水を求めるようになります。結果、ビルがお金持ちになったのに対して、エドは一生、苦労して働き続ける生活から抜け出せません。
悔しいかな、私の周りにいたサラリーマン家庭の人々は、ほとんどがエドのようにしか仕事を考えてこなかったように感じます。
一方で、山の手の億万長者の方々は、ビルのようなビジネスオーナーの働き方をしています。私が億万長者から学んだこと。それは、考え方の根本が異なっていると、どんなに頑張っても人生に差がついてしまうということだったのです。
億万長者になるための3つの要素
- 幸せな億万長者になるためには3の資本が必要
- ・人的資本……必要なときに労働をし、自己実現を果たせるだけの能力やスキルを持っているか
- ・金融資本……自由に生きられるだけのお金、あるいはそれを生み出す資産を持っているか
- ・社会資本……互いに助け合い、刺激を与え合う人間関係のコミュニティを持っているか
その当時の私はぼんやりとしか億万長者の方々の話を理解できなかったのですが、それでも世の中に対する見方は、少しずつ変化していきました。私が通っていた小学校、中学校の周りにいた多くの方々は普通の家に住み、労働の対価としてお給料をもらっています。
「このまま普通に学校に通って、みんなが当たり前だと思っている人生のエスカレーターに乗っていたら、山の手の億万長者のようにはなれないのでは?」
私は周りの大人を見て、そんなふうに感じたのです。まもなく私は高校に行かなくなり、億万長者になる道に飛び込むことにします。
始まりは仲間と集まったファミレス
もちろん、16歳で一念発起した少年が簡単に億万長者になれるほど、世の中は甘くありません。まずコミュニティを作るために仲間を集めようと考えるのですが、当時集められるメンバーはと言えば、昔からの遊び仲間しかいません。
「これから俺たちで、新しいビジネスを始めるぞ」
「興味あるやつはファミレスに集まれ!」
そんな感じで、とにかくファミレスを事務所代わりにして、皆が集まる「場」だけを作りました。そこでアイデアを出し合えば、何かが始まるのではと考えたのです。私は集まってきた仲間に、コミュニティの価値を語りました。それは、たとえば以下のような内容です。
私がまだ子供のころの話です。知人の3人のお兄さんが、生命保険会社に就職しました(そのお兄さんを、仮にAさん、Bさん、Cさんとしましょう)。 その際、今まで人付き合いを大切にしてきたAさんやBさんの友人たち、知人、先輩後輩やご親族の方々などが、「御祝儀だ!」と言って、次々と保険に入ります。もちろん、AさんとBさんからです。
それに対して、子供の私から見ても人付き合いが悪く、いつも損得勘定で動いているように見えるCさんの友人、知人、先輩後輩、ご親族の方々などは、ほとんど保険に加入しませんでした。
結果、Aさんはしばらくの間、御祝儀の力によって良い成績を作りつつ、地道に営業を続けました。そしてその保険会社で、かなりの成果をあげたのです。Bさんはご祝儀によって、しばらくの間、良い成績を作りました。でも、その代わりに一般のお客様に対する営業をサボってしまったのです。結果、継続して成績を作ることができず、保険会社を辞めてしまいました。 最後のCさんは、最初から最後までほとんど数字を作れないまま、保険会社を辞めてしまいました。
大事なのは“応援されること”
シンプルな話ですが、これが人を大切にする人と、そうでない人との違いなのです。周りの人々から、そして新しく出会う人々から応援される人ほど、強固なコミュニティを作り、成功する確率は高くなります。
そして子供ながらに私は、「自分を応援してくれるコミュニティがあるといいな!」と思ったのです。それを何度でも仲間たちに伝えていくことが、私のコミュニティ作りの始まりでした。
当初の私たちはいわゆる「烏合の衆」ですから、単に飲み食いをするだけで、サークル活動をしているのと、ほとんど変わりがありません。でも、人が集まれば、情報も集まるし、面白いアイデアが生まれます。