「万博関連予算」を黒字化するのために必要な入場者数は1日何人なのか…経済誌元編集長「経済効果という幻影が、現実を覆い隠す」

大阪・関西万博が開幕11日目で入場者100万人を超えた。ちなみにこれはスタッフも含めた数であるが、いずれにしても想定している入場者数の一日平均15万人には届いていない。後半にかけて入場者は伸びるというが、入場ゲートで並ぶことや、輸送力不足などさまざまな問題が指摘されている。今後どうなっていくのだろうか。
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「万博目的」として予算化を求めたにもかかわらず…
大阪・関西万博に向けては、耳障りの良いフレーズが絶え間なく流されている。「未来社会の実験場」「いのち輝く未来社会のデザイン」「ポストコロナの起爆剤」「世界の課題解決の処方箋」――これらのキャッチコピーは、あたかも万博が沈滞する経済を救済し、日本を新時代へと導く特効薬であるかのような幻想を振りまいている。企業は成長機会の到来に期待を膨らませ、メディアは視覚的に映えるパビリオンや先端技術の断片をセンセーショナルに取り上げる。だが、その喧騒の裏で、現実を直視する冷静さが求められている。表向きの華やかさの背後に横たわる構造は、かつての大型事業が陥った過ちと酷似しており、いまも地方に残るインフラ整備の負の遺産を想起させる。
2021年7月に、大阪府・大阪市・関西広域連合・関西の主要経済団体が連名で国へ提出した「万博関連事業に関する要望書」は、この構図を物語る決定的な資料である。吉村洋文(当時大阪府知事)氏と松井一郎(当時大阪市長)氏が名を連ねたこの文書は、万博擁護派が現在主張している「関連事業と万博は無関係」という逃げ口上を根底から否定するものである。実際、近年「万博費用13兆円」という数字が批判の的となるや否や、維新関係者や一部報道機関は「四国の道路整備まで含めるのは不当」「会場建設費とは別物」などと説明し始めた。しかし、この要望書を読めば明らかなように、それらの事業は最初から万博の名の下に国費支出を求めた対象である。
吉村・松井両氏は、会場周辺の整備にとどまらず、関西一円、さらに中国・四国地方にまたがる道路、鉄道、港湾、河川など膨大なインフラ事業を「万博の一環」として位置づけ、その実施と財源を政府に強く要望していた。「健活10ダンス」なる施策についても、大阪府庁の担当者が私の取材に対し「万博関連予算からの支出である」と明言している。自らの手で「万博目的」として予算化を求めたにもかかわらず、非難が集まると「万博とは別」と主張を反転させる姿勢は、明らかに無責任であり、関連予算の設計が初期段階から恣意的に膨らまされてきた証左である。
バラ色の未来像だけを描き、あらゆる分野での公的支援を要求
大阪・関西万博は、もはや純粋な国際展示会ではない。名目上のイベントを隠れ蓑に、国家財政と地方予算を大規模に動員する「予算確保の装置」と化している可能性が極めて高い。華々しいスローガンの背後にあるのは、公共事業バブルの再来であり、その末路に待つのは、整備されたインフラの維持費に苦しむ自治体と、回収不能な投資を抱えたまま立ち尽くす納税者・現役世代の姿である。
この要望書は、万博を「ポストコロナにおける成長・発展の起爆剤」「世界の課題解決を促す処方箋」と持ち上げる。だが、その根拠はどこにあるのか。示されるのは「やってみなはれ」の精神論、「未来社会の実験場」という空虚なスローガン、「新たな価値観やイノベーションの創出」といった具体性のない期待ばかりである。マッシアーニ論文(※1)やバークレー論文(※2)がメガイベント評価の文脈で繰り返し警告してきた、代替効果(万博がなくても使われたであろうお金)や機会費用(万博に使わなければ他に回せた税金)といった、経済合理性を測る上で不可欠な視点は完全に欠落している。バラ色の未来像だけを描き、その実現のためにインフラ整備からソフト事業、規制改革に至るまで、あらゆる分野での公的支援を要求する。これは冷静な計画ではなく、根拠なき楽観論に基づいた、税金を湯水のように使うための「願望リスト」に過ぎない。
<※1「マッシアーニ論文」とは、2020年に『Almatourism』誌に掲載されたJ.マッシアーニによる研究である。ミラノ万博2015を題材に、経済効果評価に用いられる産業連関モデルの問題点を指摘し、代替効果の無視や不適切な入力値への依存を批判している。経済効果試算の妥当性を検証するため、7分類32項目からなる評価チェックリストを提案し、既存研究が基準を満たさない実態を明らかにしている>
<※2「バークレー論文」とは、2009年に『Economic Affairs』誌に掲載されたジョナサン・バークレーによる論文である。オリンピックやW杯などメガイベントの経済便益は誇張され、費用は過小評価される傾向があると指摘する。代替効果の無視や乗数効果の誤用など、経済効果試算の手法的問題を列挙し、施設の無用化や都市再開発による排除リスクを論じている。開催の動機は「都市の地位向上」や予算獲得が目的であると分析する>
経済効果という名の幻影は、数字の体裁を整えることで現実を覆い隠す
未来への期待を託すように語られる大阪・関西万博。しかし、その希望的観測の先にある現実を示唆する先例が、北陸新幹線の金沢延伸である。たしかに開業後は観光客が増え、政策投資銀行の試算では経済波及効果が678億円に達したとされる。しかし実態はどうか。観光業に需要が集中した一方で、ホテル建設は過熱し、供給過多が発生。金沢市内の宿泊稼働率は2023年時点で平均31.7%に低迷している。過度な期待と投資が現実との乖離を生み出し、結果として競争の激化と収益低下を招いた。これが「需要予測の甘さ」と「成長期待バブル」が生んだ帰結である。
万博においても、この過ちが繰り返される可能性は高い。推進派が喧伝する「経済効果2.9兆円」という数字は、企業の投資意欲を刺激するが、もし万博後に需要が急減すれば、拡張された供給能力が重荷となる。結果として施設は閑古鳥が鳴き、収支は急速に悪化する。北陸のケースと同様に、過剰な設備投資が重くのしかかるのだ。企業や自治体がこの甘い試算を鵜呑みにすれば、万博終了後の“反動”によって深刻な経営悪化が発生する可能性は否定できない。まさにそれは、「万博後の恐怖」の幕開けである。
経済効果という名の幻影は、数字の体裁を整えることで現実を覆い隠す。だが、マッシアーニ論文が示した評価基準に照らせば、その数値の信頼性は極めて低い。代替効果や機会費用は考慮されず、コストは意図的に低く見積もられ、否定的側面には一切触れられない。APIR(アジア太平洋研究所)のレポートすら、「供給制約なし」という非現実的な前提を置いたまま効果を試算している。このような恣意的数値を基に経済の未来を語ること自体、無責任である。冷静に評価すれば、金沢で見られたような二重の苦境(過剰投資と費用対効果の悪化)が、大阪でも再現されるのは時間の問題である。
そもそも、大阪万博の収支設計そのものに無理がある。協会は、184日間で2820万人が来場すれば、大人入場料7500円などによって収支均衡が図れると説明する。これは1日あたり約15.3万人に相当する。しかし現在、会場整備の遅れやコンテンツの乏しさにより、その達成すら危ぶまれている。それでも問題の本質はそこではない。会場費や運営費だけでなく、維新が2021年に国へ提出した要望書に含まれる、道路・鉄道・港湾など広域のインフラ整備を含めた「関連事業」の全体像を見ると、その総額は13兆円にも達する。
最終的に国民が直面するのは、期待に踊らされた末の“後始末”
この13兆円をすべて万博の収益で賄おうとした場合、必要な入場者数は桁違いとなる。単純計算で、13兆円 ÷ 184日 ÷ 7500円=約942万人。つまり、1日で日本の総人口の10分の1に近い有料入場者を集めなければならない計算になる。これは理論ではなく、破綻している計画がいかに非現実的かを数値で示したものである。
吉村知事が万博構想を掲げた当初、もし本当に持続可能で現実的なプランを求めるなら、ここまで肥大化させることはなかったはずだ。だが現実には、万博を名目に次々と予算が膨らみ、当初の枠組みは跡形もない。公共事業という「隠れた主役」が、経済効果という名の演出をまとって進行してきたに過ぎない。
最終的に国民が直面するのは、期待に踊らされた末の“後始末”である。万博の幕が下りた後に残されるのは、過大なインフラと、その維持管理に追われる自治体の疲弊、そして帳尻が合わぬまま国民に押しつけられる財政負担だろう。北陸新幹線がもたらした現実と同じ光景が、大阪でも再び繰り返される可能性は極めて高い。それは予測ではなく、過去と数字が語る確実な警告である。