竹中平蔵「給料を上げるのは間違った政策だ」石破茂も結局はポピュリスト「利権団体を守る自民党」と参政党への危惧

東京都議会議員選挙での大敗に続き、参議院選挙でも苦戦が報じられる自民党。その公約は、新たなメッセージを欠き、利権団体にすがる旧態依然とした姿が露呈している。一方で、他党の政策も「ウィッシュリスト」に過ぎず、実現可能性や具体性が欠如している現状を経済学者の竹中平蔵氏は指摘しり。また、物価高の原因が「生産性なき賃上げ」にあるにもかかわらず、「減税か給付か」という誤った議論が横行していることに警鐘を鳴らす。現在の政治・社会が抱える本質的な問題、そして、その中で躍進する参政党の背景と危険性について、竹中氏が鋭く分析する。
目次
利権団体を守るという形になっている自民党の公約
東京都議会議員選挙で大敗した自民党ですが、参議院選挙においても苦戦していることが報じられています。それもそうでしょう。今回の自民党の公約については「野党より見劣りする」と言わざるを得ません。「新しい世の中になるぞ」という強いメッセージがないのです。
給付金税額控除や、ライドシェア、生活保護制度などにしても、何も新しい提案がありません。その代わり毎年のように掲げている現金給付については今回も公約に掲げました。はっきりいって、現金給付は論外です。これはどう見てもバラマキであり、良い政策とは言えません。
基本的には利権団体を守るという形になってしまっているように思います。要するに、選挙で負けそうなので、利権団体にすがりついているのです。例えば、今自民党内では郵政民営化の逆行方針も出すという話があります。これは象徴的です。かつて小泉純一郎政権下で進めた構造改革の理念を完全に放棄し、既得権益の復活を図ろうとしている。これでは日本の将来はありません。
では、他の党がすごくいい政策を掲げているかといえばそういうわけでもありません。昨年の衆議院議員選挙で大躍進を果たした国民民主党は、2035年まで名目GDPを 1000兆円という目標でぶち上げました。これはウィッシュリスト(願望)でしかありません。計算してみればすぐわかります。達成するために名目で毎年5%以上成長しないといけないのです。物価を2%にするなら実質3%です。そんなことはありえません。
維新については、徴税と社会保険料の徴収を一元化する「歳入庁」設立を訴えるなどいくつかいいことを言っています。
「減税か給付か」議論はなぜナンセンスか
しかし、そういう話はなかなか盛り上がらない。メディアは政策論争をしているようで、政策論争を実はしていないのです。
本当にほとんどの政党は政策の中身がありません。ウィッシュリストばかりで、「こうやって変えていく」というような実現可能性や具体的な手段についての議論が完全に欠如しています。
そして今、世間では物価高が問題だと言っているのに、メディアにおける議論設定は「減税か給付か」になっています。これは根本的に間違っています。やり方によっては減税も給付も、両方とも需要を刺激し物価高を促進するのです。
貧しい人を助けるというのは正当化されると思います。しかし、全員に2万円配るとか、全員に消費税を0にするとか、そんなのはありえません。それらは需要を増やす、需要刺激だからです。コストが上がっているところに需要刺激をかけるのだから、物価が上がってしまいます。
NHKの討論番組でも、2人のエコノミストが「減税か給付か」を議論していましたが、政策というのはまずは目的があってそれを達成するための手段です。手段だけを議論しても、まともな議論にはなりません。
なぜ今給料を上げることは間違っているのか
まず国民は、現在の物価上昇の構造を正確に理解する必要があります。1年前は輸入物価が10%ぐらい上がっていました。しかし最新の物価動向では、輸入物価は10%下がっている。それなのに国内物価は上がっています。
なぜか。生産性が上がっていないのにも関わらず、企業は政府の要請に応じる形で、給与を上げているからです。最初は戦争が作り出した物価高でしたが、今は「給料上げる」という間違った政策が生み出している物価高なのです。
経済学の基本中の基本ですが、生産性が上がって、それで賃金が上がるのが正しい順序です。生産性と賃金というのは市場で決まります。生産性が上がってそれで賃金が上がるわけです。
ところが生産性が低いのに給料を上げると、単に物価が上がるだけで賃上げによる好循環は生じません。
この政策を続けた結果、実質賃金は約半年、ずっと下がっています。国民はますます貧しくなっている。このまま突き進めば、国力が衰退していきます。
なぜこのような当たり前のことが議論されないのか。当たり前のことを議論する土壌が、政治と社会の中になくなったからです。
石破茂も結局はポピュリストだ
これは政治家だけの問題ではありません。国民が政策をちゃんと考えなくなって、「自分に寄り添ってくれるか」ということだけで投票行動を決めるようになった。国民の政策理解度が落ちています。
また、メディアの政策理解度も落ちています。普通のワイドショーの司会者が政策議論をやっているから、表面的な問題にしかならない。これでは本質的な政策議論は不可能です。
かつて池田勇人内閣が1960年代に掲げた所得倍増計画(10年間で実質GDPを2倍にするというもの)を引き合いに出す人もいますが、あの時は下村治という優秀なブレーンがバックにいて、この成長は可能だということを理論的に裏付けていました。GDP1000兆円の公約などには裏付けがなくて、まさにポピュリストとしての発言なのです。
そういう意味では、石破さんも結局はポピュリストです。都合のいいことしか言わない。重要なことを避けて通っている。そして、ここまでくる自民党は本当に一度負けた方がいいのかもしれない――そう思っている自民党支持者は少なくないと思います。
そんな中で、東京都議会議員選挙では参政党が躍進したことが話題になりました。これは新しい現象だと思います。ここまで伸びると予想できた人は少なかったはずです。
私にどのぐらい寄り添ってくれるの?
なぜこのような現象が起きているのでしょうか。今回の選挙みたいに各党の政策に違いがないと、不満を持っている人が「私にどのぐらい寄り添ってくれるの?」ということが投票先を左右することになってきます。
前の衆議院選挙で国民民主党が「手取りを増やす」と掲げましたが、それはまさしく「寄り添ってくれる感じ」がしますね。今度は参政党の「日本人ファースト」です。現状に不満を持った人たちにとっては「寄り添ってくれそうな感じ」がするのでしょう。
今、「自分たちは取り残されている」という思いが、国民の間にすごく広がっています。その蓄積された感情を、参政党はうまく拾っているように思えます。
ただし、参政党の政策はよくわかりません。読んでみてもいまいちわからない。参政党の元幹部は「メロンパン一個食べて翌日に死んだ人はたくさん見ています」などと発言していたこが話題になりましたが、これは完全に陰謀論の世界の話です。
世界も日本も危ない実験をしているのかもしれません
参政党の特徴は、エスタブリッシュメントやポリティカル・コレクトネスを無視していることです。これはトランプと似ていて、非常に新鮮に映る。既存の政治的正しさそのものに対する反発を感じます。
しかし、危険性もあるのではないかと、不安です。ヨーロッパで極右政党が政権を取っている現象と共通するところがあるかもしれません。いまは世界も日本も危ない実験をしているのかもしれません。
与野党問わず政策の本質を見失い、短期的な人気取りや既得権益の維持に終始している、まさにその現実です。経済の基本原理を無視した物価高対策、そして生産性なき賃上げは、国民をますます貧しくし、結果として国力衰退を招いていると言わざるを得ません。このような状況で、国民の間に広がる「自分たちは取り残されている」という不満や感情を巧みに捉え、既存政治へのアンチテーゼとして台頭する参政党のような勢力の躍進は、ある意味で必然だと私は考えます。