「大阪の女性は10人中9人ブスですよ」百田氏の問題発言をファクトチェック!…昇進も年収も“顔”で決まる「経済格差」

選挙戦もいよいよ後半戦。各党の代表が街頭に立ち、政策を訴える姿が全国各地で見られている。だがそんな中、日本保守党の百田尚樹代表から看過できない発言が飛び出した。それが政策でも経済論でもなく、“女性の容姿”についてだった。「札幌は美人率が高い。大阪は10人中9人ブス」と、通行人を前に語ったその“見た目評価”の言葉は、笑いとともに拡散され、批判を呼んだ。当たり前である。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏は、「冗談」として済ませるにはあまりに古く、有害な価値観が滲み出ていると指摘する。一体どういうことなのかーー。
目次
「10人中9人ブス」街頭で放たれた百田尚樹氏の容姿言及発言
参議院議員選挙が中盤に差しかかった7月12日、日本保守党の百田尚樹代表は北海道北広島市の駅前で街頭演説に立った。百田氏は日本の経済停滞を政治の怠慢と断じ、国家再建への決意を表明した。演説が進む中、百田氏は聴衆の容姿に言及する発言を始めた。
駅周辺はプロ野球の試合観戦に向かう人々で賑わっており、百田氏は声援を送る通行人に応えながら持論を展開した。札幌の女性は美しいと称賛した後、大阪の女性については10人中9人が美人ではないと述べた。大阪での街頭活動は気が滅入るとも語った。
「こっから見ててもね、札幌はね、美人率が高い!これ、ほんま!大阪なんか歩いとったらね、10人中9人ブスですよ!もうね、街宣してても、だんだん嫌になってくるねん。でも今日はね、みんな綺麗な子が手振ってくれる。不思議なことにね、手振ってくれる子はたいがい美人なんですよ。ま、札幌にも“これ気の毒やな”っちゅう人はいますよ?そういう人はあんまり手振ってくれませんよ。よくできてますわ」
百田氏によれば、手を振ってくれるのは大抵が美人であり、そうではない容姿の人はあまり手を振らないという。同日、北広島市での演説に先立ち、札幌市内を走行する選挙カーからも、百田氏はマイクを通じて同様の趣旨の発言を繰り返した。大阪は美人がほとんどいないと断言し、札幌の女性の容姿を称えた。実際に、百田氏が目撃したという目の前の女性が「10人中9人」がブスであるということは現実に起こりうるのだろうか。
実際に計算してみた。
確率は約0.03%──百田氏の発言はほぼウソだった
世の中の3分の1が美人、3分の1が普通、3分の1がブスだとすれば、目の前にいる10人のうち9人がブスである確率を求めると約0.0339%になる。確率は約3万回に1回の頻度で発生する非常に稀な現象となる。
計算方法としては、9人がブスで残る1人が美人または普通という2通りのパターンを想定し、それぞれの確率を計算して合計する。9人がブスである確率は3分の1を9回掛けた値であり、1人が他である確率も3分の1となる。これに該当する組み合わせは10通りあり、2通りのパターンを合わせて20通りとなる。全体の確率は20×(3分の1の10乗)で表され、計算結果は約0.0003388になる。10人中9人がブスであるという主張は統計的に見て非常に成立しにくい。
百田氏の発言は、端的にいってウソだ。「右から、べっぴんさんべっぴんさん1人飛ばしてべっぴんさん」というギャグを飛ばしたのが、芸人の岡八郎のようだが、百田氏の「10人中9人ブスですよ」は指摘する自称としては真逆であり、百田氏としては、裏返しのギャグのつもりだったのだろうか。報道によれば、現場で笑いが起きていたのだというから、冗談として現場には通じていたのだろう。
“外見の不平等”は本当に存在するのか 58本の研究が示す労働市場の現実
百田氏の発言は論外であり、非難されて然るべきだ。とはいえ、外見が個人の評価や機会に影響を与えるという現実は存在する。テレビに出演する芸能人やアナウンサーに容姿端麗な人物が多いことは事実であり、社会が外見に対して一定の価値を置いていることの証左と言える。このような現実を踏まえ、外見がもたらす不平等について学術的な観点から深く考察することは有益である。
物理的魅力が労働市場における社会経済的成果にどのような影響を及ぼすかという問題は、長年にわたり社会科学の分野で研究されてきた。イイダ・クッコネン、テロ・パユネン、オウティ・サルピラ、エリカ・オーベリによる論文『美に基づく不平等は性別によるものか?労働市場における身体的魅力の経済的結果における性別差に関する体系的レビュー』は、この問題に関する58本の先行研究を系統的にレビューし、包括的な知見を提供している。
昇進も年収も“顔”で決まる…美がもたらす格差と性別による微妙な違い
論文の分析によれば、一般的に魅力的な個人は、男女を問わず社会経済的に有利な立場に置かれる傾向が確認されている。賃金、採用、昇進といった様々な側面で「美のプレミアム」が存在することは、多くの研究で一貫して示されている。この事実は、外見が個人の能力や努力とは独立した要因として、社会的な格差を生み出している現実を浮き彫りにする。
論文はさらに、魅力がもたらす利益や不利益にジェンダー差が存在するかという点に深く切り込んでいる。分析の結果、この問題に対する単純な回答は存在しないことが明らかになった。魅力が女性にとってより有益であると結論づけた研究が19本あったのに対し、男性にとってより有益であるとした研究も20本存在し、両者の数はほぼ拮抗していた。
この結果は、魅力の効果がジェンダーによって一様ではないことを示唆している。男性の場合、物理的魅力は一貫して肯定的な資産として機能する傾向が見られた。レビュー対象となった研究の中に、魅力が男性にとって不利益に働いた事例は報告されていない。
美しさは経済的成功を保証しない 女性だけに課せられた“逆風”
一方で、女性にとっての魅力はより複雑な様相を呈する。魅力は多くの場面で女性に利益をもたらすものの、特定の状況下では不利益に転じる「beauty is beastly(美は野獣である)」と呼ばれる効果が確認されている。特に、管理職のような伝統的に男性的と見なされる職務においては、魅力的な女性が能力的に不適格であるというステレオタイプ的な評価を受けることがある。
これは、女性の魅力が女性らしさと強く結びつけられ、リーダーシップや決断力といった男性的とされる資質とは両立しないと見なされるためである。女性の魅力は、ある文脈では資産となり、別の文脈では負債となる諸刃の剣としての性質を持つ。
魅力がない、あるいは平均的とされる容姿がもたらす影響についても、論文は分析している。この点においては、男女ともに否定的な結果と関連づけられる傾向が強い。魅力的でないことは、採用や賃金の面で明確な不利益、すなわち「醜さのペナルティ」につながる可能性がある。ただし、これも状況によって異なり、前述の男性的職務への応募のように、魅力的でないことが逆に女性にとって有利に働くという稀なケースも指摘されている。
笑いを取る前に考えるべき、「容姿と不平等」という深刻な構造
これらの知見は、社会が外見に対して設定した基準から逸脱することが、経済的な不利益に直結する構造を示している。
このような学術的な探求は、外見という一見個人的な特性が、いかに社会的な力学の中で格差や不平等を再生産しているかを解明しようとする真摯な試みである。
学術研究が外見と社会の複雑な関係性を解き明かそうと努力しているのに対し、百田氏の発言は、問題の構造的な側面に一切目を向けることなく、個人的な偏見を公の場で披露したに過ぎない。
せっかくの参院選挙なのだから、ブスだの、美人率で、現場の笑いを取って終わりというだけではなく、もう少し、その「笑い」なるものから奥の深い主張や議論を巻き起こしてほしいものだ。それが作家でありながら、政治変革を掲げる人物の最低限の態度ではないだろうか。