小池知事“全面支援”の現職を破り無所属でまさかの当選「偏差値40の高卒」女性都議が都民ファーストに恐れられるワケ

2025年6月の東京都議会議員選挙で、都民ファーストの会、自民党という二大勢力の候補を打ち破り、無所属で奇跡的な当選を果たしたさとうさおり氏。その異色の経歴の原点には、「貧乏子だくさん」の家庭で育ち、19歳で月500時間労働の末に過労で倒れたという壮絶な過去がある。
大手監査法人での安定したキャリアを捨てて政治の道を選んだ彼女が掲げるのは、都政の「ブラックボックス」の解明と徹底した減税だ。既存政党の論理に縛られず、たった一人で都議会に乗り込んだ彼女は、停滞する都政にどのような風穴を開けるのか。その逆転戦略と覚悟の全貌に迫った。短期連載全4回の第1回。(取材日:7月23日)
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偏差値40の高卒から公認会計士、そして都ファ・自民を破り都議へ
――今回の都議会議員選挙は、都民ファーストの会、自民党という大きな組織が候補者を立てる中、無所属で、まさに奇跡的な当選を果たしました。本当に見事な勝利でしたね。
ありがとうございます。本当にどうなることかと思いました。選挙戦の最終盤には、都民ファーストの候補者の応援に小池百合子知事が入り、自民党の候補者には小泉進次郎さんが応援演説に入っていましたから。支援してくださった皆様には感謝しかありません。
――本当にすごい戦いだったと思います。さて、さとうさんの経歴を拝見すると、公認会計士というキャリアが目を引きます。そもそも、どのような経緯で政治家を志すようになったのでしょうか。その原点からお伺いしたいです。
はい。もともとの出身は茨城県なんです。いわゆる「貧乏子だくさん」の家庭で育ちました。4人兄弟です。なので、今でこそ公認会計士という肩書がありますが、大学には行っていませんし、出身高校も偏差値40くらいの学校なんです。
「貧乏子だくさん」の壮絶な子ども時代が政治家人生の原点に
――「貧乏子だくさん」というのは、どれくらいの環境だったのでしょうか。
そうですね、例えば、本当は通いたい高校があったのですが、そこへ行くためのバス代が家計から出せないということで、結局、自転車で通える範囲の学校に進学せざるを得ませんでした。とにかくお金をかけないように、という家庭でしたね。
――そうなると、生活保護などを利用されていたご家庭だったのでしょうか?
いえ、それが、持ち家はあったんです。ローンを返済中の持ち家があると、生活保護の受給はなかなか難しいのが現状です。それに、やはり親には親のプライドというものがあったのだと思います。ですので、生活保護のような公的な支援は受けずに、両親がなんとか頑張ってくれていました。
19歳で月商5,000万円店舗の店長に 人生を変えた飲食店での原体験
――ご自身としては、子ども時代は大変だったという感覚でしたか?
意外と私自身はそこまで辛いとは感じていなくて、それが当たり前だと思って育ちました。むしろ、大人になって東京に出てきてから、「ああ、自分は結構な雑草魂で生きてきたんだな」と客観的に気づいた感じです(笑)。
――そのご経歴から、公認会計士を目指されたというのが、すごいステップアップだと感じます。どういったきっかけがあったのでしょうか?
高校を卒業した後は、大学には進まず、飲食店でアルバイトをしていました。物販も併設しているような、少し大きめのお店です。そこで働いているうちに「店長をやってみないか」と声をかけられました。
――アルバイトから店長に。
はい。それが結構イケイケの飲食店でして、月商で5,000万円くらいを売り上げるような店舗だったんです。当時、私はまだ19歳でした。その19歳の小娘が、アルバイトを100人採用して、仕入れから売上管理、利益の確保まで、全部「あなたの責任でやってね」と言われたわけです。損益分岐という言葉すら知らない状態でしたから、「あ、これはまずいな」と痛感したのが、数字や経営に興味を持った最初のきっかけです。
「法律的に完全にアウト」な労働環境で倒れるまで働いたワケ
――ご自身の知識不足をそこで痛感されたと。
はい、猛烈に痛感しました。そこから紆余曲折ありまして、本格的に公認会計士の勉強を始めたのは23歳の時です。それまでは、勉強するための学費と生活費を貯めるために、とにかく働いていました。
――19歳の頃は、どれくらい働いていたのですか?
19歳から20歳くらいの頃は、月間の労働時間が500時間に達していました。
――500時間……! それは法律的に完全にアウトな数字ですね。
そうなんです、もうどアウトなんですけど(笑)。当然、体を壊しまして、19歳で過労で倒れてしまいました。そのときに、「このままの知識や働き方では、この先の長い人生、体が持たないぞ」と強く思いました。体力を使う仕事には限界があると感じたんです。
「君の経歴じゃ大手は無理」周囲の予想を覆し、高卒からデロイトへ
――その経験から、現場に立つ仕事ではなく、管理部門や裏方の仕事に興味が移っていったのですね。
その通りです。会計や数字に強くなれば、会社の管理部門、いわゆる裏方の仕事ができる。そちらのほうが自分の体も少しは休まるだろうし、長く続けられるだろうと考えました。そして、お金の流れをきちんと知りたい、という思いも強くなりました。世の中のお金はどのように動いているのか。それを知るには、まず銀行の仕組みを理解する必要があると考えました。
――それで公認会計士の資格を取得し、大手監査法人のデロイト トーマツに入社された。
はい。23歳から勉強を始めて、26歳の時に監査法人に入りました。実は、受験指導の予備校からは「君の経歴じゃ、大手監査法人への就職は無理だからやめておけ」と言われていたんです。
――公認会計士の資格を取っても、ですか?
はい。当時の就職状況だと、25歳以下で、なおかつ有名大学を卒業したような、いわゆるエリートでないと厳しいという雰囲気でした。私は高卒ですし、年齢も超えている。でも、「私が入社したいのはデロイトだけだから」と決めていて、そこ一本に絞って就職活動をしました。もしダメだったら、そのときは仕方がない、と。
夢を叶えたエリート会計士は、なぜ安定を捨てて政治家になったのか
――すごい覚悟ですね。なぜデロイトにそこまでこだわったのですか?
私の目標が「三菱UFJ銀行の監査担当になること」だったからです。日本で一番大きな銀行の内部で、どのような基準でお金が動いているのか、有価証券の動きはどうなっているのか。それを内部から見たかった。そして、その監査を担当しているのがデロイトだったんです。だから、デロイトに入ることだけを目指しました。希望部署もそこしか書かずに提出して、幸いなことに、希望通りに配属してもらうことができました。
――まさに逆算のキャリアプランですね。そして、順調に公認会計士としてのキャリアを積んでいく中で、なぜその安定した道を離れて、政治の世界へ進もうと思われたのですか?
デロイトは福利厚生もしっかりしていて、女性が働く環境としても非常に整っている会社でした。しかし、そんな恵まれた環境にあってもなお、多くの女性たちが、かなりしんどそうに仕事をしている現実を目の当たりにしました。私自身もそうでした。
福利厚生の充実だけでは女性は救われない 直面した不都合な真実
――具体的にどのような点で「しんどそう」だと感じたのでしょうか。
女性には、男性にはない特有の身体的な「ゆらぎ」があります。月経や妊娠、出産、更年期など、ライフステージによって心身の状態が大きく変化する。そうした「ゆらぎ」を抱えたまま、男性と同じようにパフォーマンスを出し続けることに、多くの女性が困難を感じていました。これは社内の制度を少し変えるだけでは解決できない、もっと根深い社会の構造的な問題だと感じたんです。社会全体の制度を変えなければ、本当の意味で女性が働きやすい環境は実現できない。そう強く思うようになったのが、31、2歳の頃でした。