オールドメディアが嬉々として報じる「絶望の若者像」は本当か 実は親世代より圧倒的に“幸福”なZ世代の真実

「資本主義が格差を拡大させる」――。こうした批判は後を絶たないが、そもそも「資本主義」とは何かを明確に定義できるだろうか。作家の橘玲氏は、多くの議論、特にリベラル派による批判は、マルクスが見た19世紀の「産業資本制」のイメージに囚われた時代錯誤なものだと断じる。
現代の格差の本質は国内の「階級」ではなく、生まれた国で人生が左右される「場所」にあると語る同氏に、複雑な現代を生き抜くための思考法とサバイバル術を伺った。全3回の第3回。みんかぶプレミアム特集「資本主義は人を幸せにできるのか」第7回。
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メディアが報じる「絶望の若者像」と現実の“幸福なZ世代”
メディアは連日、「格差社会ニッポン」の惨状を伝えます。若者は貧困化し、将来に希望が持てない――。しかし、これもまた一面的な「物語」に過ぎないのかもしれません。
最近、『Z家族データが示す「若者と親」の近すぎる関係』という本の中で興味深い調査を知りました。博報堂生活総合研究所が日本のZ世代(現在の20代)の若者と、親世代(現在の50代)が若者だった30年前を比較しているのですが、「生活に十分満足している」と答えた割合が30年前の9.4%から30%へと3倍以上増加しているというのです。それだけでなく、「非常に幸せ」と感じている割合は19.7%から33.5%へ、毎日の生活が「非常に楽しい」という割合も、12.2%から29.5%へと2倍以上に増えています。
「一応満足」「まあ幸せ」「まあ楽しい」を加えると、生活に満足している若者は80.5%。幸せな若者は84.2%、生活を楽しんでいる若者は82.2%にのぼります。「いまの若者は経済成長の時代を知らなくてかわいそう」という常識に対して、著者たちは、「Z世代は「かわいそう」どころか「とても幸せ」であり、「とても楽しい」日々を「とても満足」して過ごしている」と書いています。
もし若者たちが、これまでのどの時代よりも幸せだとしたら、「日本の社会はうまくいっていない」という前提そのものが揺らぎます。もちろんこの調査でも、「生活にきわめて不満」(3.5%)、「非常に不幸せ」(1.0%)、「生活が非常に楽しくない」(1.3%)という若者がいますから、すべての人が幸福に暮らしているわけではありません。
“悪いニュース”でカネを稼ぐオールドメディアのカラクリ
しかし、メディアはそうした一部の不幸な事例ばかりを拾い集め、「ほら、こんなにひどい目に遭っている人がいる。だから日本社会はダメなんだ」という物語を構成しがちです。なぜなら、そのほうが注目を集めやすいからです。「若者の生活満足度、過去最高を更新!」などというニュースが新聞の一面を飾ることはありません。
これは、社会の全体像を冷静に見る視点が欠けているからです。スティーブン・ピンカーが指摘するように、マクロなデータを見れば、社会は私たちが思っているよりもずっと良い方向に進んでいる。「世の中はどんどん悪くなっている」という決めつけから入る善悪二元論のネガティブな文法に、私たちはあまりにも慣れすぎてしまったのではないでしょうか。
なぜ私たちはタワマンや高級車を欲しがってしまうのか
若者の貧困化の象徴として、「車が買えない」「家が買えない」といった話がよく取り上げられます。しかし、私自身、家も車も持っていませんが、何の不便も感じていません。「家や車を所有していないと幸せになれない」という価値観が、そもそもおかしいのです。
東京のような都市に住んでいれば、仕事で使わないかぎりマイカーは不要ですし、リモートワークが普及した今、地価の高い都心に無理して住む必要もありません。日本には、外国人が知らないような、安くて快適に暮らせる場所がたくさんあります。
結婚、出産、子供の成長や転勤、転職などのライフイベントによって、どの地域で暮らすか、どのような家に住むかの優先順位は変わります。生まれ育った故郷でずっと生きていくなら別ですが、とりわけ都市の生活では、人生のステージに合わせて気軽に転居できる賃貸の方が生活満足度が高くなるとも考えられます。
ではなぜ、人々は「都心のタワマン」や「高級車」にこだわるのでしょうか。その根底にあるのは、人間の本能に根ざした「ステータス競争」です。
私たちの脳のOSは、旧石器時代の小さな共同体で生き抜くために最適化されています。その共同体の中で高い評判を得てヒエラルキーの上位に立つことができれば、魅力的な異性をパートナーにでき、より多くの子孫を残せる。だから私たちの脳は、ステータスが上がると幸福を感じ、下がると殴られたり蹴られたりするのと同じ痛みを感じるように進化してきたのです。
ちなみに平和で豊かでリベラル化する社会では、性愛市場の自由化が進み、競争が過酷になっていきます。男女の生物学的な性の非対称性から、恋愛の第一段階では「男が競争し、女が選択する」ことになりますが、日本だけでなく欧米先進国でも、この競争から脱落してしまう若い男性が増えています。これが「非モテ問題」です。
経済学者が暴いた「見せびらかす消費」の正体
産業革命以降、人々が都市に集まり、見知らぬ他人と出会う機会が増えると、このステータス競争は新たな形をとるようになります。相手が信用できる人物かどうかを瞬時に判断する必要に迫られたとき、最も有効なシグナルとなったのが「富」でした。
高価な馬車、大勢の召使い、城のような邸宅――。これらは、言葉で「私は金持ちだ」と言うよりもはるかに雄弁に、その人物の信用度を証明しました。経済学者ソースティン・ヴェブレンが「顕示的消費」と呼んだ、見せびらかすための消費の始まりです。これが、人々がお金を渇望する大きな理由となりました。お金は、それ自体が価値を持つのではなく、評判を獲得するための最も有効な道具だったのです。