「異常な待遇」ネットで“立憲民主不要論”勃発…経済誌元編集長が国会議員の時給を試算「驚きの数字」奈良のシカ質疑15分で消えた衝撃の金額

産経新聞によると、11月10日の衆院予算委員会で立憲民主党の西村智奈美氏が約15分間、首相の奈良のシカ発言について問いただした。「日本人もとてもひどいことをやっている。外国人について言ったのは問題だ」と述べ、発言の撤回を迫った。首相は「一定の根拠があって申し上げた」と述べ、応じなかった。これに対して日本維新の会の吉村洋文代表はSNSで「総理のシカ発言撤回要求で時間を費やす。もう予算委員会は党首討論中心でいいんじゃないかな」と投稿し、ネット民からも同調する声があがり、「立憲民主党不要論」が沸き上がった。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏は「議員一人に国民は1時間7万円払っている」と試算する。その上で、議員が約700名いることを考えると、「奈良のシカ質疑で1250万円の税金が浪費された」と批判する。小倉氏が解説していく――。
目次
国会議員の「時給」は7万円。どうやって試算したか
国会議員の「時給」は7万円だ、と言ったら驚くだろうか。実際に、時給制で働いているわけではないので、正確に7万円ということではないが、以下に国民が国会議員のために支出しいている項目を並べてみる。
給料(歳費)、ボーナス、公設秘書給与(3人分)、秘書退職金、弔慰金(元議員の香典代)、旅費(外遊費など)、文書通信交通滞在費、議員会館管理運営費 、赤坂宿舎管理運営費 、JR無料パス・無料航空券 、立法事務費 、政党交付金
これらの合計が約1000億円 (令和3年度の議員費用。政治団体は相続税贈与税免除。「交通費」は非課税、領収書の提出が不要)となる。
衆参の議員数713人で割ると、1人あたり約1.4億円となる。これをせめて年間2000時間働いていると願って、割り算したのが、国会議員の「時給」約7万円(=国民が国会議員のために支払っている税金が、1時間で7万円程度という意味)という数字だ。
凄まじい浪費の実態が浮かび上がる
この「7万円」というコスト感覚を持って、最近の国会の出来事を見てみると、凄まじい浪費の実態が浮かび上がる。2025年11月10日の衆議院予算委員会。立憲民主党の西村智奈美議員が、高市早苗首相に対し、過去の総裁選での発言を巡って質疑を行った。
問題とされたのは、高市首相が地元の奈良公園で「シカを足で蹴り上げる」「殴って怖がらせる」外国人観光客がいると述べたことだ。西村議員は、この発言の根拠を問い、日本人によるシカへの暴行例(2010年のボーガン事件など)を挙げ、「外国人だけの問題なのか」「日本人も大変ひどいことを行っている」と食い下がった。
5分間の労働価値は一人あたり1万7500円に。仮に衆参両院の議員約700名が…
高市首相は、自身が「英語圏の方」がシカを蹴るのを見て注意した経験があると説明し、「日本人でも悪意をもって加害行為をし、報道された人はいる」「日本人も外国人もしてはいけないことはしてはいけない」と答弁した。
しかし、西村議員の追及は止まらない。「最近SNSなどで外国人を攻撃する不確かな内容が飛び交っている。放置すれば関東大震災で朝鮮人虐殺のような悲惨なことにつながりかねない」と、議論は大きく飛躍し、最終的に発言の撤回を求めた。高市首相は「一定の根拠があって申し上げた」と、撤回を拒否した。
このシカに関する一連の質疑は、約15分間にわたって行われた。
ここで、先ほどの「時給」計算が意味を持つ。国会議員の国民が国会議員のために支払っている税金が、1時間で約7万円。その15分間の労働価値は、一人あたり1万7500円となる。仮に、衆参両院の議員約700名が、この質疑を傍聴ないし、放送などを通じて観ていた、あるいはこの質疑のために国会が拘束されていたとすれば、単純計算で以下の金額が国民の税金から瞬時に消えたことになる。
あのシカを巡る問答で、税金1225万円が飛んだ、ということに
時給約7万円 ×(15分/60分) × 議員数約700名 = 約1225万円
あのシカを巡る問答で、税金1225万円が飛んだ、ということになる。
もちろん、国会論戦は民主主義の根幹であり、その価値は金額だけで測れるものではない。しかし、議論には「何を」「いつ」話すべきかという優先順位があるはずだ。報道によれば、この質疑に対し、インターネット上では「いま話す議題?」「予算に何の関係があるんだよ」といった国民の素朴な非難が溢れたという。まさにその通りだ。
予算委員会は、国の予算配分という国民生活の根幹を決める場所である。そこで15分間、1225万円というコストをかけてまで、首相の過去の発言の、それもシカに関する一節の撤回を求めることが、どれほどの国民的利益を生むというのか。西村議員が持ち出した「関東大震災の朝鮮人虐殺」という言葉の重さに至っては、奈良のシカの問題から論理的に接続できるとは到底思えず、むしろ重要な歴史的悲劇を安易に持ち出すことで、論点そのものを汚しているとさえ言える。
日本の国会議員の異常な待遇
この一件は、国会議員という職務がいかに国民の現実的なコスト感覚から乖離しているかを示す、象徴的な出来事である。時給10万円、年間2億円の費用がかかる存在であるという自覚があれば、国会の貴重な15分間を、シカの蹴り方ごときで浪費するような真似は、恥ずかしくてできなかったはずだ。
なぜ、このような感覚の麻痺が起きるのか。それは、日本の国会議員の異常な待遇に根本的な原因がある。
日本の国会議員の報酬は、年収にして約3000万円。これは世界で極めて高い水準だ。だが、問題は給料の額面だけではない。金額に加え、公設秘書の人件費や事務所費、政党助成金といった補助金が、国民の税金から支払われる。その結果が、先に計算した「1人あたり年間約1.4億円」という数字である。
これだけの金額を受け取りながら、日本の政治が大きく改善していると感じている国民は少ないだろう。議員たちがどのようにお金を使っているかには多くの疑問がある。
地元有権者へのばら撒きや自身の選挙対策に使われている可能性
ある議員は「地元の冠婚葬祭にお祝い金を出すのが当然で、政治活動にお金がかかる」と語る。別の議員は「広い選挙区を維持するための秘書や事務所の費用が大変だ」と話す。つまり、「政治に金がかかる」という内訳の大部分は、国民全体に利益をもたらす政策立案ではなく、地元有権者へのばら撒きや自身の選挙対策に使われている可能性がでてくる。
この実態は、外国と比較するとさらに際立つ。フランスやスウェーデンでは、地方議員が無給で活動している。スウェーデンでは国会議員も報酬が日本より低く、質素な議員宿舎に住み、公共交通機関で移動している。彼らは高額な報酬や手厚い補助金に頼らずとも、政治家としての職務を全うしている。そして、政治はしっかりと機能しており、国民の信頼を得ている。スウェーデンの議員たちの姿は、政治がカネではなく理念によって行われるべきであるという、ささやかながらも重要な事実を示している。日本のように高い報酬が良い政治につながるとは限らないのだ。
さらに問題なのは、政治家が資金を集める仕組みそのものが歪んでいることだ。政治資金パーティーで得た収入が非課税になるのは、明白な不公平である。税金で世界でも極めて高い水準の給料を受け取りながら、自分たちの宣伝活動のためにさらにお金を集め、その収入には税金がかからない。
「時給7万円」の国会議員が、「15分で1250万円」をシカのために浪費
これでは、政治家たちが自らの利益を最優先しているように見えても仕方がない。
日本では、政治家が高額な接待を受け、カネに任せた選挙運動を繰り返し、利害関係者や有権者との関係を強化する。こうした行為が汚職の温床となってきた歴史がある。この結果、潤沢な資金と組織力を持つ現職議員が圧倒的に有利になり、志はあってもカネのない新人候補者は、現職議員と対等に戦うことが極めて難しくなる。
選挙制度が現職議員を有利にするこの構造こそが、政治の進歩を妨げる最大の要因となっている。
「時給7万円」の国会議員が、「15分で1250万円」をシカのために浪費する。この喜劇的な現実の裏には、国民の税金を自らの特権維持のために使い込む、根深い構造が存在する。
その税金で一体誰のどの問題を守ろうとしたのか
まずは、腐敗した政治家、国民のコスト感覚からかけ離れた浪費を行う政治家を、選挙で落とすことだ。そして、民間レベルの給料、民間レベルの刑罰、民間レベルの課税方式を政治家に課すことからはじめるべきではないか。日本のように高い報酬が良い政治につながることはない。その事実は、15分1250万円の「シカ質疑」が何よりも雄弁に物語っている。
国民が「時給7万円」という重いコストを支払っている現実を、国会議員は自覚する必要がある。奈良のシカを巡る議論が示したのは、国会という貴重なリソースが、国民の生活実感からかけ離れたところで消費されかねないという危うさだ。
高市政権が打ち出した「おこめ券」配布の是非や、国民生活に直結する「来年4月からの大増税」の問題など、喫緊の経済的論点は山積している。そうした重要課題を徹底的に追及・議論すべき貴重な15分間、1250万円が浪費されたと国民に受け取られても仕方がない。今問われているのは、その税金で一体誰のどの問題を守ろうとしたのかという、政治家の本質的な優先順位である。