欧州の舞踏芸術から氷上芸術への到達点、羽生結弦という継承者、『Origin』という「地平」(後)

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意識する、しないに限らず伝統は継承される
先人が目指した先にある理想とその築き上げた伝統。意識する、しないに限らず伝統は継承される。
それは遥か古えのーーそれこそ継承する者が知らない時代とその理想もまた無意識のうちに継承される。
羽生結弦はフィギュアスケートという歴史の終着点であり、21世紀の出発点だ。
ここでひとつ大事な鍵がある。オクサナ・バイウルはウクライナ人だが、彼女の生まれたウクライナは「ソヴィエト」だった。プルシェンコもそうだ。ソヴィエトに生まれた。
ロシアのフィギュアスケートは「ソヴィエト」の歴史でもある。多くは忘れているが、その悲劇と芸術性を避けては通れない。
ソヴィエトのスポーツを、芸術をどれだけの人が記憶しているだろうか。確かに存在した、冷戦下に鉄のカーテンと呼ばれ、閉ざされた共産主義国家――アメリカと並ぶ超大国として世界を二分したソヴィエト社会主義共和国連邦(以下、ソ連)、私と同年代から上の方々なら覚えているだろう。五輪で圧倒的な強さを見せ、共産主義の宣伝のために選手を送り出し続けたソ連という国があったことを。
アニメ『アタックNo.1』ではソ連がラスボス的存在として立ちはだかるが、バレーボールのみならず、体操競技、レスリング、アイスホッケー、サッカーなど10代の私にとってソ連といえばスポーツ大国であった。