「いま」「ここ」という喪失なきアウラへ…羽生結弦『RE_PRAY』横浜公演アンコール上映(4)

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なんだろう、冷たさが心地よい
『破滅への使者』ノーミス。
わかっていても興奮する。緊張する。まるで初見のように「いま」「ここ」のアウラは喪失していない。
『阿修羅ちゃん』
真剣な表情もまた新たな『阿修羅ちゃん』であった。
まったく色褪せることのない『Yuzuru Hanyu ICE STORY 2nd “RE_PRAY” TOUR 横浜公演 アンコール上映』。
現地鑑賞はもちろん素晴らしいが、それよりずっと鮮明に、大きく映し出されるからライブビューイングもまた好きで来てしまう。
昭島は都心に比べると少し寒い。私はこの多摩川を、浅川を越えた冷たさが好きだ。生まれ育った千葉県の野田市もそうだった。東京から中川を越えて、江戸川を越えて、少しずつ冷たくなってゆく。
空気があらたかとなるように。
父も母も、もうこの世にはいない。自分の家庭を持っても両親のない身というのは不思議な感覚だ。
この感覚が、ちょうどこの冷たさと一緒なのが、とても不思議に思う。
羽生結弦の作品を観て、外に出たときも同じだ。なんだろう、冷たさが心地よい。
ado『私は最強』が心に流れる。命がけでやりきった羽生結弦の笑顔と共に。この笑顔がすべての人の「大丈夫」になる。
羽生結弦は、大丈夫だ。
私たちも、大丈夫だ。
映像になっても、円盤や放送で複製(思想家ヴァルター・ベンヤミンが言うことろの「複製」)されても「いま」「ここ」のアウラは一旦喪失し、新たなアウラが生まれる。アウラ(Aura)は人の心が灯つづける光だ。転じて、人の纏う輝き(オーラ)だ。それが会場を包み、羽生結弦の力となる。