「まるでかつての日本人」中国不動産バブル崩壊で関連余波は金融にも「でもなぜか反日デモ起きない」…家買えば値上がりすると信じた人たち

中国の都市にはかつて、上昇の気配が満ちていた。高層ビルの光は成長の象徴であり、住宅価格は伸び続けると信じられ、人々の生活に未来の輪郭を与えていた。しかし「いま街に漂うのは、その熱気が引いた後の静かな重さである」と語るのはコラムニストの村上ゆかり氏だ。仕事を探す若者、値下がりする住宅、縮む地方財政―――生活に影を落とす不安が、言葉より早く表情に現れている。村上氏が詳しく解説していく――。
目次
不動産バブル崩壊の中国。政府が最も恐れること
この空気の変化には、不動産バブルの崩壊が深く関わっている。中国の中産層にとって住宅は最大の資産であり、その値上がりが暮らしの安心を支えてきた。価格下落は家計の将来像を揺るがし、消費を抑えさせ、地域によっては資産を持つ意味そのものが問われる段階に至った。地方政府も土地売却による財源を失い、一部では公共サービスの維持さえ難しくなるほどだ。街の沈黙は、こうした構造の変化を反映している。
政府はこの経済の冷え込みによる“街の沈黙”がその先に示すものを理解し始めている。かつては反日デモが国内政治への不満を“逸らす”手段として使われてきた。外への怒りを動員することで社会を落ち着かせる方法である。しかし、2022年に起きた「白紙革命」が示したように、民衆が自律的に動き始めれば、矛先は制度そのものに向かう可能性がある。統制の利かない集団行動は、いまの中国が最も避けたい事態である。
SNSで情報が共有され、検閲をかいくぐりながら全国へ波及
白紙革命とは、2022年秋に中国各地で若者や市民が白い紙を掲げて抗議した一連の動きである。きっかけになったのは、新疆ウルムチで起きた集合住宅の火災である。住民は厳格なゼロコロナ政策のもとで建物が封鎖され、出入口がロックされていた可能性が指摘された。消防車が近づけない光景がSNSで拡散し、住民が外へ避難できなかったのではないかという怒りと不安が一気に広がった。この出来事が、「封鎖が人の命を奪った」という象徴として受け止められた。
上海では「封鎖をやめろ」と声を上げる群衆が集まり、北京、広州、成都、武漢にも同様の動きが広がった。白紙は、言葉を書けば検閲される現実そのものを示し、沈黙による抗議として成立した。参加者の中心は大学生や若者層で、SNSで情報が共有され、検閲をかいくぐりながら全国へ波及した。
建設業、関連製造業、金融部門へと波及
各地で警察が封鎖を試みても、群衆は場所を移しながら集まり続けた。政府が短期間でゼロコロナ政策の大幅緩和に踏み切ったのは、この自律的な動きが抑えられなかったためである。
白紙革命が示したのは、政府が最も恐れるのが自発的に広がる民衆行動だという現実である。過去の反日デモのように政府が熱量を操作できる行動とは構造が異なり、白紙革命は完全に統制の外で起きた。経済減速で不安が高まるほど同様の動きが再燃する可能性があり、中国政府が大規模動員を避ける理由の一つになっている。
中国の現在の状況を理解するには、不動産バブルの崩壊がもたらした構造変化を押さえることが不可欠である。中国の家計資産の約七割が住宅に集中し、地方政府は土地の売却収入を財政の柱としてきた。住宅価格が下落すれば、家計の資産価値が一挙に揺らぎ、地方財政は根底から不安定になる。恒大集団や碧桂園の経営破綻はその象徴であり、建設業、関連製造業、金融部門へと波及している。
住宅が「買えば値上がりする」という前提が崩れたことで、消費は細り、家計は将来支出を抑制する。企業も投資に慎重になり、民間部門は活力を失う。都市部の住宅ローン拒否運動の広がりは、家計が背負ってきた成長ストーリーへの信頼が失われたことを示している。こうした現象は、単なる景気後退ではなく、経済モデルそのものの限界を表す。
外資企業は中国依存の縮小を進めている
外資の動きもこれと連動している。政治リスクと経済減速が重なり、日本を含む外資企業は中国依存の縮小を進めている。外資は長く雇用・技術・生産の中核を担ってきたため、その退潮は雇用喪失、産業空洞化、税収減を通じて中国経済の弱点を拡大させる。かつて中国が反日デモを政治的に利用できたのは、外資が十分に根を張り、政府が経済的な余力を持っていた時代の話である。現在は同じ行動を取れば外資の撤退を進め、自国への打撃が大きくなるため、反日を動員する余裕はない。
経済の脆さが増すほど、強硬姿勢はコストを伴い、国内の反発を誘発しやすくなる。政府が動ける領域は広いように見えて、実際には制約が大きい。国内安定を最優先しなければならない以上、高コストの対外行動を避けざるを得ない。また、バブル崩壊で地方財政が弱り、公共サービスの後退が始まると、住民の不満が制度に向かう危険が高まる。
国内不安が高まるほど、対外行動は短期的に不安定化する可能性
これも政府が外向きの緊張を高めにくい理由である。
中国の経済が構造的に厳しい局面に入ったからといって、中国の脅威が消滅したわけではない。巨大市場としての存在感は続き、製造業の規模は世界最大級だ。自動車、電子部品、化学製品などの国際市場では中国の需要が依然として価格と供給に影響を与える。日本企業もこの市場の動向から逃れられない。
軍事力の拡張も続く。国防費は増加し、海軍力は数の上で世界最大の規模に達した。ミサイル戦力や無人機、サイバー能力の開発も進み、経済の失速とは別の速度で軍事が成長している。軍事の領域では政治判断が優先され、経済的制約が直接的に働きにくい構造がある。これが周辺国にとっての長期的な不安材料になっている。
国内不安が高まるほど、対外行動は短期的に不安定化する可能性もある。大規模な反日動員のようなコントロール困難な行動は避けるが、領海・空域での挑発や象徴的な経済措置のように、低コストで政治的効果を得られる行動は残り続ける。相手国の社会不安が外交上の“揺れ”として外ににじみ出る構造である。
現在の中国は強さと弱さが混在する国家
加えて、中国の不安定化は国際経済にも波及する。過剰生産品の輸出が一気に増えれば市場価格が乱れ、レアアースなど戦略物資の供給が揺れれば日本の産業に直接影響が出る。政治体制が緊張すれば国内統制が強まり、その反動が外交領域に反映される場合もある。つまり、現在の中国は強さと弱さが混在する国家ということである。経済の減速で外資は引きつけにくくなったが、市場規模と軍事力は大国としての性質を維持し、弱点が増えても脅威が消えたわけではなく、むしろその不均衡が“不安定さ”を生み、予測しにくい行動につながる。
日本が向き合うべき対象は、一面的な「強い中国」でも「弱い中国」でもなく、その両方が同時に存在するという構造そのものである。対中外交を論じるなら、まずこれらの構造を押さえておくことが大前提となる。構造を理解しているかどうかで、見える景色がまったく変わり、判断の精度も大きく異なる。“中国からの制裁”という表層を見るだけでは、その背後にある制約や力学を読み取ることはできない。
中国との関係のみならず、最も忘れてはならない原理原則は、相手を知ることである。
中国は弱っているからといって無害ではない
中国から突然の揺さぶりが起きると、日本では感情的な反応が先に立ちやすいが、外交とは本来、相手の構造を理解し、その意図と制約を読む技術である。紀元前5世紀の『孫子』が「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」と述べていることは有名だ。現代でも、米国防総省の「China Military Power Report 2023」は“Understanding China’s strategic intent is essential”と明言し、日本の「外交青書」(2019年版)も「相手国の国内情勢の把握が不可欠」としている。つまり、相手を知ることは古代から現代まで変わらない外交の基礎であり、これらは今日まで続く普遍的な基準である。
今回の中国からの報復問題も、まず捉えるべきは、中国国内の不安や統治上の圧力が外へ漏れ出した可能性があることではないか。不動産バブル崩壊、若者失業、外資離れ、地方財政危機など、内側の緊張が高まるほど、中国は低コストの対外行動を選びやすくなる。日本がどれほど配慮しても、相手国の事情で揺さぶりは起こり得るという構造がここにある。
中国は弱っているからといって無害ではない。巨大市場の影響力は続き、軍事力は経済とは別に拡張している。弱点が増えるほど短期的に行動が不安定化する可能性もある。強さだけを恐れても、弱さだけを見て安心しても誤りであり、相手の強み・弱み・制約を一体で見ることが重要になる。相手の事情を理解していれば、揺さぶりの多くは“予測可能な反応”に変わり、過剰な恐れや国内の混乱は避けられる。相手を知らなければ、ほんの一つの出来事でも国全体が振り回され、それ自体が自国の外交上の弱点となる。中国との関係を安定させるために必要なのは、恐れではなく正しい理解であり、この基本を忘れない姿勢こそが、冷静で揺るがない外交の力になる。