日本経済は中国なしでやっていける「相手は困っている姿を見たがっている」…経済誌元編集長「関税かけた側が結果的に損をする」

日中関係が悪化している。高市早苗総理による台湾有事に関する発言を巡り、中国は日本への“制裁”をし始めた。訪日観光の自粛呼びかけや、アーティスト講演の中止など日本経済に影響が出ている。一方でこうした中国政府による政策で日本企業が振り回される「チャイナリスク」は10年以上前から指摘されていたことでもあり、世界でも脱チャイナは少しづつ進んでいた。しかし、それでも日本と中国の経済の結びつきは依然として深い。日本経済は中国なしでもやっていけるのか。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が解説していく――。
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日本は中国経済なしでもやっていけ…
札幌に雪が舞う季節が訪れた。例年であれば、この時期のホテルは「さっぽろ雪まつり」や春節を待ちわびる熱気で満たされていたはずだ。とりわけ、海を渡ってやってくる隣国からの観光客たちの賑やかな声が、ロビーや廊下に行き交っていた。
しかし、2025年11月は、その風景が一変した。中国外務省による日本への渡航自粛の呼びかけである。報道によれば、札幌のあるホテルでは、宿泊客の7割から9割を占めていた海外客のキャンセルが相次ぎ、数日で数十万円規模の損失が出たという。また、小樽の運河沿いの土産物店でも、これから売上が伸びる時期を前に、先行きへの不安が広がっている。静岡では、長年積み重ねてきた友好の証である5つの交流事業のうち4つが、メッセージアプリ1つを通じてあっけなく中止や延期となったのだという。
日本国中で起きている、こうした事態は日本経済の終わりを意味しているのだろうか。それとも、新しい時代の幕開けを告げる号砲なのだろうか。
結論から先に述べよう。日本は、中国経済なしでも十分にやっていける。もちろん、無傷では済まない。しかし、致命傷にはならない。むしろ、相手が仕掛けてくる理不尽な圧力や規制は、放っておけば中国自身の首を絞め、自滅する結果になることが、過去のデータや歴史から明らかになっているからだ。
私たちは今、声を荒げるのではなく、誇りを持って冷静に、そして、したたかに、自分たちの足元を固めるべき時を迎えている。
まず、私たちが漠然と抱いている「隣国がいなければ日本は立ち行かない」というイメージについて考えてみたい。確かに、中国との貿易総額は巨額であり、私たちの生活の多くが中国製の製品に支えられていることは事実だ。
日本という国は、そこで飢えて倒れるほど弱くはない
2024年のデータを見ても、日本の輸入の約2割強はそこから来ている。スマートフォン、衣類、自動車の部品。これらが突然なくなれば、スーパーの棚は一時的に空になり、工場のラインは止まるかもしれない。
しかし、日本という国は、そこで飢えて倒れるほど弱くはない。私たちには、他にも頼れる「親戚」や「友人」がたくさんいるからだ。アメリカであり、東アジアの国々であり、ヨーロッパである。実際、ここ数年で日本企業の多くは、工場をベトナムやインド、タイへと移し始めている。リスクを分散させる動きは、すでに水面下で着実に進んでいるのである。
かつて、レアアース(希少金属)の輸出を止められたことがあった。あの時も日本中が「産業が止まる」と大騒ぎになったが、結果はどうだったか。日本企業は必死になって代替技術を開発し、他の国からの調達ルートを開拓した。その結果、困ったのは売り先を失った相手の方だったという皮肉な結末がある。
今回の観光客の減少についても同様のことが言える。団体旅行客が減る一方で、個人で手配して日本を訪れる人々は増えているというデータがある。また、円安を背景に、欧米や他のアジア諸国からの旅行者も増加している。1つの国に頼りきりだった構造が崩れることは、短期的には痛みを伴うが、長い目で見れば、より健全で多様な観光地へと生まれ変わる機会でもあるのだ。
「関税をかけた側の方が、結果的に損をする」という事実
次に、相手が仕掛けてくる「圧力」について考えてみよう。関税を上げたり、輸入を禁止したりといった行為は、一見すると相手を痛めつける強力な武器に見える。だが、経済学のデータや過去の貿易戦争の記録を紐解くと、面白い事実が見えてくる。それは、「関税をかけた側の方が、結果的に損をする」という事実だ。
例えば、数年前にアメリカと中国の間で激しい貿易戦争があった。アメリカが高い関税をかけて製品を締め出そうとした際、実際に苦しんだのは誰だったか。それは、高くなった商品を買わなければならなくなったアメリカの市民たちであり、報復措置によって農産物が売れなくなったアメリカの農家たちだった。研究機関のデータによれば、関税によるコストのほとんどは、それを仕掛けた国の消費者や企業が負担することになったという。
振り上げた拳で自分の顔面を砕く
今回、隣国が日本への渡航を制限したり、日本製品の輸入を規制したりする動きも、これと同じ構図になる可能性が高い。日本への旅行を楽しみにしていた市民は失望し、日本の高品質な部品や機械を必要としていた工場は、生産が滞ることになる。日本側が何もしなくても、無理な規制や圧力は、ブーメランのように相手の経済や社会にダメージを与えて戻っていく。これを「自滅」と呼ばずして何と呼ぼうか。相手が振り上げた拳は、振り下ろす場所を間違えれば、自分の顔面を砕くだけなのである。
ここで重要になるのが、国家としての「メンツ」と、実利を取る「したたかさ」のバランスである。相手が理不尽な対応をしてきた時、ただ黙って頭を下げる必要は全くない。総領事を帰国させたり、外交の場で毅然とした態度を示したりすることは、独立した国としての誇りを守るために必要なことだ。これは対面を保つための最低限の儀式のようなものである。「君の態度は失礼だ」とはっきり伝え、不愉快な相手とは距離を置く、という大人の対応だ。
相手は日本が慌てる姿を見たがっている
しかし、経済的な殴り合いにまで発展させる必要はない。相手が「日本に行くな」と言うなら、「そうですか、残念ですね」と涼しい顔をしておけばいい。そして、空いたホテルの部屋を、日本国内の人々や、他の国からのお客様に楽しんでもらえるよう、知恵を絞ればいいのだ。相手が日本製品を買わないと言うなら、その優れた製品を必要としてくれる別の国へ売り込みに行けばいい。
これを弱腰と捉える人がいるかもしれないが、それは違う。これこそが、最も強靭で、最も相手にとって恐ろしい対応なのだ。相手が期待しているのは、日本が慌てふためき、泣きついてくること、あるいは怒り狂って同じ土俵に上がってくることだ。そのどちらでもなく、淡々と自分たちの生活を豊かにし、経済を回し続ける日本の姿を見せつけることこそが、最大の反撃となる。
この姿勢を貫くためには、私たち自身が実力を高める必要がある。防衛力、それは単に武器を持つことだけを指すのではない。経済的な体力、技術力、そして食料やエネルギーを自分たち、あるいは信頼できる仲間たちと確保できる力のことだ。「したたかさ」とは、見えないところで着々と準備を進めることである。表向きは穏やかに微笑みながら、水面下では決して折れない骨格を作り上げる。
知的で成熟した国家とは、大声で相手を罵る国ではない
特定の国に依存しなくても、国民が安心して暮らせるだけの供給網を整える。それは一朝一夕にできることではないが、今の日本にはその能力も、それを実現しようとする意志もある。
隣国との関係が薄れることは、1つの時代の終わりかもしれない。だが、それは日本が「独り立ち」を深めるための、良い機会でもある。誰かにおんぶに抱っこではなく、自分の足でしっかりと立つ。その上で、対等に付き合える相手と手を結ぶ。相手が勝手に高い壁を作って閉じこもるなら、私たちはその壁の外で、広々とした世界と自由に繋がればいい。壁の中で彼らがどうなるかは、彼ら自身の問題だ。私たちは、ただ静かに、しかし力強く、自分たちの道を歩いていくだけである。
知的で成熟した国家とは、大声で相手を罵る国ではない。どんな嫌がらせを受けても、品位を保ち、国民の生活を守り抜き、いつの間にか以前よりも強くなっている国が日本なのだ。
日本経済は、中国との関係悪化による短期的な痛みはあっても、致命傷にはならない。依存構造から脱却し、多様なパートナーとの連携を深めることで、より健全で強靭な経済を構築できる。冷静に「したたかさ」を保ち、実力を高めることが最大の反撃となる。