「中国自動車企業400社倒産の衝撃」経済誌編集長が指摘…習近平肝煎り「産業政策」「経済安全保障」の成れの果て「EV車が鉄くずに」

日中関係が冷え込んでいる。高市早苗総理の「存立危機事態」発言を発端に、中国は訪日渡航の自粛を国民に求めるといった“制裁”を発動している。しかし、この強硬な態度の裏には中国の深刻な経済不振もある。その不都合な事実を覆い隠すため、習近平が高市を外敵として利用した、という見方もある。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が解説する――。
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過去5年間で、中国では400社もの自動車関連企業が消滅
広大な中国の各地に広がる「EVの墓場」。 雑草に覆われ、土埃にまみれた何万台もの電気自動車の映像は、見る者に強烈な不安を抱かせる。だが、フィナンシャルプランナーとして顧客に向き合う私たちは、映像の向こう側にある、もう一つの「死」に目を凝らさねばならない。 それは、形ある車の死ではなく、それを生み出した企業の死である。 過去5年間で、中国では400社もの自動車関連企業が消滅した。
400社である。
一つの産業分野で、これほど短期間に、これほど大量のプレイヤーが市場から退場する例は稀だ。それはまさに、過当競争と補助金頼みの歪んだ構造が招いた、必然の淘汰と言えるだろう。 この現象について、鋭い分析を加えた報道がある。
「私はむしろ違ったストーリーを追ってきた。それは、急上昇する売上のグラフではなく、企業の死亡記事によって測られるストーリーだ。5年間で400社以上の中国の自動車会社が消滅した。生き残った企業は?シリコンバレーの最も浪費的なユニコーン企業でさえ赤面するようなペースで現金を流出させている」(7THIN.GS「Follow the Corpses: China’s EV Revolution Devours Its Own Children」2025年7月1日)
生き残った企業ですら、利益を出せずに現金を垂れ流している。
誰も乗らない車を作り、原野に放置し、その結果として企業自体も死んでいく。 中国による「2025年、1兆ドルの貿易黒字」は、こうした企業の死屍累々の上に積み上げられており、極めて不安定だ。
なぜ、このような資源の浪費が起きるのか。 理由はシンプルだ。
商売の素人である「役人」が、偉そうに指図をしたからだ。 「産業政策」「経済安全保障」といえば聞こえはいい。だが、その実態は、ビジネスをしたこともない官僚が、机上の空論で「この産業を伸ばそう」「ここに金を入れよう」と決めつける行為に他ならない。
作れば補助金が出るのだから、作り続ける
汗水垂らして働いた国民の税金が、役人の思いつきで特定の企業にばら撒かれる。
すると、企業はどうなるか。「良い製品を作って客に喜ばれよう」とは考えなくなる。「役人の機嫌をとって、補助金をもらおう」と考えるようになる。 需要など関係ない。客がいなくても、作れば補助金が出るのだから、作り続ける。 その成れの果てが、墓場に並ぶ鉄の塊だ。中国のEVの墓場は、市場を無視した「計画」がいかに愚かであるかを証明する、巨大なモニュメントである。 中国政府は10年前、「メイド・イン・チャイナ2025」という壮大な計画をぶち上げた。国を挙げて製造業を強化し、世界のトップに立つという野心的なプロジェクトだ。 その結果について、米国議会の諮問機関が詳細な評価レポートを出している。一部の分野では目標を達成したとされているが、その「目標達成の理由」こそが、中国経済の病巣を示している。
「中国が目標の大部分を達成した技術は、一貫した長期的な政府支援、垂直統合されたサプライチェーン、および規模の経済の恩恵を受けたものである。これらには、電気自動車(EV)、電気機器、バイオ医薬品および高性能医療機器、船舶、宇宙機器が含まれる。(中略)中国の製造能力は、技術的な進歩が工場の現場での『プロセス・イノベーション』によって推進される分野、または中国の政策が最終製品メーカー、部品サプライヤー、および研究開発能力の重複するクラスターの大規模なセクターを開発するのに役立った分野で特に顕著である」(米中経済安全保障調査委員会「Made in China 2025: Evaluating China’s Performance」2025年11月14日)
これは成功ではなく、「ドーピング」だ
報告書は「政府支援」と「規模の経済」が目標達成の要因だと分析している。 だが、騙されてはいけない。これは成功ではなく、「ドーピング」だ。 政府が特定産業を優遇し、コストを無視してサプライチェーンを囲い込む。そうやって作られた「競争力」は、筋肉ではない。単なる贅肉だ。 「プロセス・イノベーション」という言葉も、要するに「補助金を使って馬鹿でかい工場を建て、力技でコストを下げた」ということに過ぎない。
そこには、iPhoneのような革命的な価値の創造もなければ、人々の生活を一変させるような新しいサービスの発見もない。
採算度外視の投資、大量の不良債権、イノベーションの停滞
あるのは、安く大量にモノを吐き出す巨大な工場と、それがもたらす世界的な供給過剰だけだ。 そして今、世界中で流行し、日本でも持て囃されている「経済安全保障」という考え方が、この歪みをさらに悪化させている。
「重要な物資は自国で作らなければならない」「サプライチェーンを他国に握られてはいけない」。 一見、もっともらしいスローガンだ。不安を煽られれば、誰もがそう思うかもしれない。
しかし、中国の失敗を見れば、それがどれほど非効率で、国を貧しくする考え方か分かるはずだ。 中国は、半導体から食料まで、あらゆるものを自国で賄おうとした。その結果が、採算度外視の投資と、大量の不良債権、そしてイノベーションの停滞だ。
「何でも自前でやる」というのは、個人の生活で言えば、自分の家で米を作り、服を織り、家を建てるようなものだ。そんなことをすれば、貧しい生活しか待っていない。 餅は餅屋、パンはパン屋に任せる。得意な仕事で稼いだ金で、必要なものを買う。これが一番豊かになれる方法だ。国家も同じである。
中国と同じ「自滅への道」を歩んでいる日本
農業分野でも起きているが、「安全保障」という言葉を使えば、どんな無駄遣いも許されると思ったら大間違いだ。 市場とは、世界中の無数の人々が、それぞれの欲望と能力に基づいて自由に取引を行う場だ。 そこでは、「何を作り、何を輸入するか」は、価格メカニズムを通じて自然に最適化される。誰か一人の天才や、賢い官僚が決めることではないし、決めることなど不可能なのだ。 「国が主導して半導体工場を作る」「補助金を出してサプライチェーンを守る」。 日本でも最近よく聞く話だが、これは中国と同じ「自滅への道」を歩んでいるに過ぎない。
産業政策は、一度始まると止まらない。 失敗しても、役人は絶対に過ちを認めない。「支援が足りなかったからだ」と言い訳をして、さらに税金を投入する。死にかけているゾンビ企業を無理やり延命し、健全な新陳代謝を阻害する。結果として、国全体の生産性が低下し、経済は活力を失っていく。
中央経済工作会議の報道を見ても、中国指導部は相変わらず「供給側の最適化」だの「質の高い発展」だのと、上からの号令で経済を動かそうとしている。
官僚がしゃしゃり出る国に、繁栄なし
「消費者が何を欲しがっているか」ではなく、「国家のために何を生産させるか」という発想から一歩も抜け出せていない。 この思考停止こそが、中国経済最大の弱点だ。
日本の投資家が、ここから学ぶべき教訓は大きい。 「国策に売りなし」という格言があるが、それは今の時代、「国策に未来なし」と読み替えるべきだ。 政府が金をばら撒く分野は、短期的には株価が上がるかもしれない。しかし、そこは競争がなく、工夫がなく、腐敗がはびこる「死の領域」だ。 長期的に資産を増やしたければ、政府の補助金に群がる企業ではなく、荒波の中で顧客と向き合い、自力で生き残っている企業を選ばなければならない。 真の強さは、温室の中からは生まれない。 リスクを取って挑戦する起業家、シビアな目で商品を選ぶ消費者、そして効率を追求して国境を越える投資家。彼らの自由な活動だけが、持続可能な成長を生み出すのだ。 中国から逃げ出し、ベトナムやメキシコへ工場を移しているグローバル企業たちは、この理屈を肌で知っている。
彼らは「国家の命令」ではなく、「商売の合理性」に従って動いている。だからこそ、彼らの判断は信頼に足る。 1兆ドルの貿易黒字や、400社の倒産といった派手なニュースの背後にあるもの。 それは、産業政策という「毒」に体を蝕まれ、身動きが取れなくなった巨人の姿だ。 私たちは、一時の数字や勇ましいスローガンに惑わされることなく、その国の経済が「商売の原理」に基づいているか、それとも「役人のメンツ」に基づいているかを、冷徹に見極める必要がある。 官僚がしゃしゃり出る国に、繁栄なし。 荒野に放置された電気自動車の群れは、沈黙の中でそう語りかけている。