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なぜよく怒る人は「本当はナイーブ」なのか…「自分は正しい」という思い込みがちな人に待つ孤独の世界

 「自分は正しいのに、なぜあの人は自分の言うことを聞いてくれないのか」。このように考えることが、モラハラやDVの第一歩かもしれない—。モラハラ・DV加害者の当事者団体GADHA代表で、自らも加害の当事者であった中川瑛氏が、人と寄り添いながら生きていくために必要な考え方を解説する。全4回中の1回目。 

※本稿は中川瑛著『孤独になることば、人と生きることば』(扶桑社)から抜粋・編集したものです。 

自分の「悲しみ」を「怒り」に置き換えてしまう妄想 

 どんなに何らかの能力が高くても、どんなに社会的に成功していても、「人と生きる言語化」を知らない人は孤独になってしまいます。 

 この「人と生きるための言語化」を、私は「現実の言語化」「尊重の言語化」「共生の言語化」の3つに分割しています。それぞれ、「妄想の言語化」「軽蔑の言語化」「支配の言語化」が「孤独になる言語化」として対になっています。 

 最初の一つが「現実の言語化」です。これは、自分の感情や思考・言動や、起きている出来事を理解し、現実を認識する言語化です。 

 早速具体例を出してみます。ある日、僕と妻が一緒に楽器の練習をしに歩いているとき、僕が特に何の断りもなく道を渡ったあとに、妻がついてこないときがありました。別にバラバラに歩いても目的地にはつけるわけですが、このとき僕は猛烈な怒りに襲われました。 

「一緒に歩いていけばいいのになんでバラバラに歩くんだ!最終的には道を渡るんだから、どっちかが渡ったらついてくるのが普通だ!おかしいやつだ!」「自分を馬鹿にしているんだ」と。 

 そして強烈な不機嫌を撒き散らかして、妻が向かった先に僕は向かいませんでした。無視され、軽んじられたように思い、一緒に楽器の練習をしないことを通して、その感情を表現しようとしました。謝ってほしい、間違っていることを認めてほしいと怒りでいっぱいになっていました。 

 相手が間違っていると思っている背景には、自分が正しいという思いがあります。しかし自分が正しいと思っているのは、一方が道を渡れば当然もう一方も渡るべきだと思っているからです。相手はそうしなかったから間違っている、そう思って「怒り」という言葉を使いました。 

 でも実際にはどうだったでしょうか。「当然渡るべきだ」から「渡らないのはおかしい」と思って「怒っていた」のでしょうか。僕は「一緒に歩いていきたかった」のに「そうしてもらえなかった」ので「悲しい、傷ついた」と感じていたのではないか、そう思うのです。 

 自分の感じ方や感情、思考やそれに基づく言動、世界をどう捉えるかといったことは、現実の言語化そのものです。どんな言葉を使うかによって、現実そのものが変わるのです。 

 「現実の言語化」と「妄想の言語化」とは何が境目になるのでしょうか。例えば先ほどの事例において、パートナーに後から確認したところ、パートナーは「なんで急に道を渡ったんだろ? まあ後で合流するからいいか」と思っていただけでした。 

 特に馬鹿にもしていないし、間違っているとも思っていません。現実の言語化をするならば「自分は特に断りもなく道を渡り、パートナーはついてこなかった」ということです。そして結果として一緒に歩きたかった自分は悲しんでいたのです。 

 この悲しみを感じることができずに、相手はおかしい、自分はそれに怒っているというとき、妄想をコミュニケーションのスタート地点にしてしまっています。 

 孤独になる言語化をする人には「傷つきやすい人」が非常に多いです。当たり屋のごとく傷つきに行っているようにさえ見えます。起きた現象に対して妄想を膨らませ、自分は攻撃され、軽んじられていると感じることによって怒りが湧き、攻撃ではなく「反撃」をしているうちに、孤独になっていきます。 

「これが常識」に隠された相手への軽蔑 

 「現実の言語化」は自分がどのように世界を理解するかを示す「私の言葉」を作るためのものですが、その世界には常に他者がいます。相手には相手の現実があります。ということは、言語化には必ず「相手が何を感じ考えているのか、世界をどんなふうに捉えているのか」すなわち「相手の言葉」を知ろうとするプロセスが含まれます。これを尊重の言語化と呼びます。 

 例えば先ほどの事例においてこんなふうに聞くことができるかもしれません。「どうしてついてきてくれなかったの? どっちかが渡ったらもう一方もついてくるものだと思ってたから驚いちゃった」と。相手がどんなことを感じ考えているのかを知ろうとする姿勢が見えます。 

 さらに大事なことに、ここでは「自分がどういう考え方をしているから、どう感じたか」までわかっています。これこそが現実の言語化の重要な意義です。人は往々にして「自分が今なぜ怒っているのか」とか「自分がなぜこんな言い方をしているのか」に無自覚で「相手が怒らせたから」とか「そういうものだと思ってるから」とか「これが常識だ」と思ったりしていますが、それは妄想です。実際には、自分が選び取っています。 

 自分の選択次第だと気づくことができれば、相手の言動にもなんらかの相手が持つ考え方や感じ方が反映されていると想像できます。だからこそ、攻撃的じゃない形で、相手のそれを知ろうとして尊重の言語化ができるのです。相手を理解しようとすることで、妄想の言語化を手放すことができます。 

 しかし孤独に向かう人は、こういうときに軽蔑の言語化を用います。それは例えば「どうせ同じ場所に向かうのになんでついてこないの? 普通そうするでしょ」とか「どうせちょっとムカついたからついてこなかったんだろ? 子どもじゃないんだから渡ってきたらいいのに」「馬鹿にしてるんだろ」といった言い方です。 

 こういう人には、質問形式で聞いていたとしても、相手が何か反論してくるならば論破してやるぞという攻撃的な姿勢が隠れています。結論はもう決まっていて、要するに「俺が渡ったらついてこい」なのです。 

 尊重の言語化と軽蔑の言語化の違いはここにあります。自分と相手は違う人間なので、感じ考えることが異なり、大切にすることも違い、よって言動も違います。だからこそ、そんな相手と一緒に生きていくためには、それらを知ろうとすることが重要です。それなしには一緒に使うことのできる「私たちの言葉」を導き出すことができないからです。 

 つまり、尊重の言語化は「現実の言語化」を促し、続く「共生の言語化」へと開かれているのに対して、軽蔑の言語化は「妄想の言語化」を暴走させ、「支配の言語化」へと向かっていくのです。 

「~して当然」に固執し続けると関係は終わる 

 「支配の言語化」とは、読んで字の如く、相手を自分の思い通りに支配しようとするために使う言語化です。「俺が渡ったらついてこいよ、そんなの当然だろ」というのは、自分は変わらずに相手にだけ言動の変化を要求しています。 

 また「非常識」「普通」という言語化を通じて、相手の感じ方や考えはおかしいと評価し、それを変えようともしています。これは自分と違う人間を自分の思うままに支配しようとする、典型的な孤独になる言語化です。 

 これに対して、「共生の言語化」はどうでしょうか。まず自分がいきなり道を渡った結果、相手はついてこなかったため、自分としては寂しい、悲しい気持ちになっていることを自覚しています。そのため、尊重の言語化をすることで、相手は特に何か害意を持っていたわけでもないと知ります。 

 そうすれば出てくる言葉は「一緒に歩きたいと思っていたのに勝手に渡って、勝手についてくると期待して傷ついちゃってた、ごめん。今度から道を渡るときはちゃんと確認するようにするね」といった表現になるかもしれません。 

 ここでは「私たちの言葉」が作られています。道を渡るという概念について、どちらか一方だけが我慢したり無理するのではなく、この私が大切にしていることと、このあなたが見ている世界とを、同じように大切にする「私たちの言葉」を作ることこそが共生の言語化なのです。 

「家族や親しい関係において、こういうことをいちいち意識しないといけないのは窮屈だ」とか「思ったことを素直に言っただけで、何が悪いんだ」と言う人がいますが、そういった人たちは基本的に孤独に向かうと思います。 

 なぜならば「窮屈だ」とか「何が悪いんだ」と言うときは、誰かに「そういう言葉遣いは嫌だ」とか「そういう言い方をしないでほしい」とか「傷つくからその言い方はやめて」と伝えられたときだからです。 

中川瑛著『孤独になることば、人と生きることば』(扶桑社)
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この記事の著者
中川瑛

DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。ウェブサイト:https://www.gadha.jp/ツイッター:@EiNaka_GADHA

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