羽生結弦がファンに綴った「点数がでない苦しみ」4回転アクセルへの渇望と『バラード第1番』
細身の体で引き受けた苦しみ
しばらく、気持ちの整理がつかなかった。
しばらく書けなかった。
私は甘すぎたのだろう。羽生結弦『蒼い炎IV -無限編-』。何度も読み返した。
苦しいが読み返した。
私は苦しかった。人の感想はそれぞれかもしれないが、私は読んでいて、幾度となく苦しかった。
もちろん、羽生結弦という存在は、私たちすべてが彼の苦しみを共有していた以上の苦しみを、その細身の体に引き受け続けていた。
ただし「その先の表現へ」からは、心穏やかに読むことができる。そこからは開放感がある。私たちがいま知る、現在進行系の羽生結弦がそこにいる。問題はそれ以前、競技会における羽生結弦という存在の、命をかけた苦しみの日々だ。『蒼い炎IV -無限編-』、できる限り、紐(ひも)解いていこうと思う。
4回転アクセルへの渇望と矜持
冒頭の「プロローグ」および「つかみ取りたい光」から苦しい。とくに2021年世界選手権を綴(つづ)った「4回転アクセル」と2022年北京オリンピック「プライドとともに」は苦しい。息ができなくなる。4回転アクセルへの渇望と矜持(きょうじ)。追い込み、追い込み、追い込み続けた果ての「その先」という「道程」をほんとうの意味で推し量ることなど不可能かもしれない。
この羽生結弦の苦しみの道程は、「過程」とか「行程」などという言葉では足りない。まったく足りない。羽生結弦の4回転アクセルは「道」(どう)だ。だから「道程」と顕(あらわ)す。武士道とか、騎士道とかいった類の「道」だ。心技体の一致と習熟の先に生き方を探り、見出す「道」だ。「道」とスポーツの何が違うかと言えば、根本的には「命がけ」ということだ。