成田修造「子供に中学受験をさせても人生の選択肢は増えない」…兄悠輔が弟に課した「天才になる本」全36冊全リスト&「私を覚醒させた本」

創業幹部(取締役)として、ベンチャー企業であった株式会社クラウドワークスを上場させ、当時の上場企業役員では最年少の25歳にして副社長に就任した経歴のある成田修造氏。「天才」と名高い、イェール大学助教で経済学者の成田悠輔氏の弟としても知られている。
7月28日に『逆張り思考 戦わずに圧倒的に勝つ人生戦略』(KADOKAWA)を上梓した同氏は、圧倒的な「天才」である兄・成田悠輔氏を前にして、どのように「逆張り」して、ビジネスパーソンとして成功することになったのか。
父・兄は麻布学園、本人は城北と、中学受験組から生まれた天才兄弟の弟・成田修造氏に、当時の家庭環境、教育環境を聞いた。令和を代表する天才兄弟はいかにして生まれたのか。みんかぷプレミアム特集「最強の中学受験」第7回ーー。
目次
麻布学園出身の天才肌の父親のもとに生まれ、中学受験が当たり前の環境に育った
「人生をやり直したい」
そう言い残し、当時14歳だった私と兄、母の3人を残し失踪した父。ギャンブルしては負けこみ、足りなくなったお金を消費者金融から借りることでまかない、という生活を続けた果てに、突然失踪してしまいました。
そんな破天荒な父ですが、もともと彼は麻布学園出身のインテリです。家には文学全集のようなものから、小林秀雄や寺田寅彦の著作、マルクスの資本論全巻など、とにかく大量の本が溢れていました。それらの本を読んでいるのかどうかはわかりませんでしたが、暇があれば本を買ってきて、廊下の本棚には難しそうな本がぎっしりと積まれていました。
父の友人にも麻布出身のインテリが多く、家族ぐるみで仲良くしている人も多かったんです。そんな環境だったので、中学受験をすることになったのは自然な成り行きでした。「周りも受験しているから」という理由ですね。
後に父の失踪などで受けたショックから脳出血で倒れ、右半身不随になってしまった母も、まだその頃は元気にしていました。父のようなインテリに憧れを持っているような人で、兄にもなんとなく良い中学校に行ってほしかったんだと思います。
そんな環境で、兄は麻布学園に、私は城北に進学しました。
中学受験の特殊な勉強にはハマれなかった
失踪直前にはもう働いていなかった父ですが、私が小学生の頃はまだ、幸いサラリーマンとして働いていました。母親も働いていたので、ダブルインカムでそこまで家計は苦しくなかったのだと思います。私も中学受験のために、友達も通っていた地元の小さい塾に通わせてもらっていました。最後の1年だけは四谷大塚に通い、それなりに中学受験対策はしていたんです。