なぜいつも羽生結弦さんにだけ心無い言葉を投げる人がいるのか…羽生結弦と共にある方々にも投げかけられる理不尽に負けてはいけない(前編)
これほどまで理不尽に貶められた存在もないのではないか
本稿を書くにあたり、勇気ある素晴らしい提言をしていただいた方がいました。
「なぜいつも羽生さんにだけ心無い言葉を投げる人がいるのか?」
素朴な疑問だと思います。これまでも多くの羽生結弦と共にある方々が、心中および公にこうした疑問を投げかけたことでしょう。私もそう、思います。
フィギュアスケートというジャンルにおいて、これほどまでに称賛され、そしてこれほどまで理不尽に貶められた存在もないのではないか、とまで思わされます。
今回は「です・ます」調とします。私としても、これを書くのは本音のところつらいので。
羽生結弦と共にある方々の「投げかけ」
もちろんフィギュアスケートにおいて毀誉変貌はつきものです。三人挙げるとするなら古くはカタリナ・ヴィットでしょうか。エフゲニー・プルシェンコもまた、そうでしょう。そして、羽生結弦。
実績とスター性はもちろん、私の持論である「時代の人」となった彼ら三人は、フィギュアスケートという枠を越えて社会における同時代性を持ち得た「歴史の人」でもあります。もちろん羽生結弦という存在のそれは現在進行系です。羽生結弦とは後世に「記録」としてのみならず「歴史」として残ることは約束された存在です。
今回はこれまでの多くの羽生結弦と共にある方々の「投げかけ」に私なりの言葉を綴りたいと思っています。
羽生結弦と共にある人々も 「心無い言葉」を投げかけられたことでしょう
羽生結弦に対しての「心無い言葉」はもちろん、羽生結弦と共にある人々もこれまで、何らかの形で羽生結弦と共にあることで「心無い言葉」を投げかけられたことでしょう。