「テレビが偉い」と未だ思っている…原作軽視はもはや慣習の実態!漫画家・芦原妃名子さんの死を経て問われる映像化の価値
昨年、ドラマ化された漫画「セクシー田中さん」の原作者である漫画家の芦原妃名子さんが急死した。亡くなった状況などから自殺とみられ、警察当局が死因や経緯を調べている。芦原さんはドラマの内容をめぐってトラブルがあったことを26日にSNSで告白。波紋を広げたことで28日に全文を削除していた。
ライターのトイアンナ氏は、これまでの“テレビ局の悪しき慣習”が最悪の結果を招いた、と嘆息する。
目次
原作の改変を巡りゴタゴタがあった
「セクシー田中さん」の原作者で、漫画家の芦原妃名子さんが1月29日(月)に逝去された。遺書があることから、自殺と見られている。
同名作品は、2023年10月から12月まで日本テレビでドラマ化。これを巡っては、つい先日「原作の改変」を巡るゴタゴタがあった。ドラマは8話まで、専任の脚本家がいたが、9・10話で原作者の芦原さんが脚本担当に変更されている。脚本家は、自身のInstagramで「原作者たっての要望」で担当者変更になったこと、そして「残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました」「この苦い経験を次へと生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせていきます」と綴った。
すなわち、この担当変更は脚本家にとって予想していないインシデントであった、ということになる。
芦原妃名子さんの死、そしてその後のバッシング
その後、原作者の芦原妃名子さんが自身のSNSへお詫びを掲載した。その内容を要約すると、以下の条件でドラマ化が実現していたという。
- ドラマの内容は漫画に忠実なあらすじ、セリフにすること
- 忠実にならない場合は、原作者が加筆修正する
ところが、原作から大きくかけ離れた展開が予想されたことから、原作者が介入することとなったのである。この経緯を掲載したところ、脚本家へのバッシングが相次いだ。そのため、芦原妃名子さんは投稿を削除。先ほど書いた痛ましい出来事は、その後すぐのことだった。
死後、Xのトレンドは憤ったファンや、便乗したいだけの者が投稿した #脚本家のせい というキーワードで埋まり、さらなる脚本家への批判が続いている。
一般論として、脚本家は最終版の脚本を書けない
ここで前提をおさらいすると、テレビドラマなどの脚本家は、脚本を単独で書かせてもらえない。なぜなら、そこにはディレクター、監督、テレビ局、そして番組のスポンサー企業の意向が入るからだ。たたき台を脚本家が書き、それがどんどん改変されて公開される。
極端だが、スポンサー企業の一声で、方向性がすべて変わってしまうことすらある。民放ではCMとして資金を出すスポンサーがオーナーであり、スポンサーの意向第一になるからである。
だからといって、脚本家が「私のせいではない」と言えるわけでもない。というのも、一般的には脚本家と名乗る以上、すべての作品は「この人が脚本を書いた」と言われてしまう仕事でもあり、その職責を負う部分も含めるのが一般的だ。逆に、いい脚本を書いてもCMのスポンサーが褒められず、脚本家が評価されるのと、この現象は表裏一体である。
さらに、原作からの改変が必要とされる事情もある。ファン層が読んでくれる雑誌や単行本と、まっさらな状態で見ることとなるテレビドラマでは、そもそも前提知識が異なる。そして、テレビドラマだからこそウケる展開もある。
漫画家自身も、改変する必要性は知っていた。だが……
もっと言ってしまえば、漫画家がひとりで作品を作ることはない。編集者と一蓮托生、共にストーリーを話し合いながら原稿はつくられる。
「これだと読者はわからないから、前提を最初に示したほうがいい」
「子ども向けの漫画では、キャラにわかりやすい必殺技をつけるべき」
といった、より多くの読者に浸透させるためのアドバイスを編集者は行っている。ときには、編集者の一声でストーリーが大きく変わることもある。そして、漫画家なら誰もが、そのことを知っている。
したがって、本件でも原作者である芦原妃名子さんは、間違いなく「改変」の必要性を知っていた。それを踏まえてもなお、原作改変ストーリーを拒んだということは、これまでにメディアミックスで苦い思いをした経験があったり、周りが嫌な思いをしたりしたのだろうと思われる。
テレビ局が抱える“原作軽視”の慣習
本件は『セクシー田中さん』のドラマや、脚本家、あるいは原作者の問題というよりも、慣習として「原作者の意向は無視してもいい」とされがちな、業界の課題を浮き彫りにしている。
脚本家は、この件についてこうコメントした。
「(原作者がテレビの脚本家を降板させて自ら台本を執筆するのは)個人的にはあり得ないと思っています。どんな経緯があろうとです」
そう、テレビなら通常はありえない。なぜなら、脚本家もまた、ディレクター、監督、局、スポンサーに翻弄されるパーツのひとつだからだ。そして、パーツと原作者……つまりアーティストとは、根本的に性質が異なる。脚本家は会社員的にスポンサーのことを聞かねばならないが、漫画家をはじめとするアーティストはそうではない。単行本が売れなければ飢えて死ぬかもしれないが、会社員的な制約からは自由である。
だが、テレビの「改変」には、アーティストである原作者として看過できない部分が頻繁に混ざる。オリジナルキャラクターの追加、番外編と称したパラレルワールドへの転生、ストーリーの勝手なエンディング制作、芸能事務所から送り込まれた素人役者の棒読み演技。どれも、「原作レイプ」としてよく嘆かれる事象だ。
こういった改変を、よく「アニメ化・ドラマ化は作品を嫁にやったものとして諦めろ」と、従来は諭されてきた。というのも、テレビは「たとえ大幅な改変を加えても、原作を売れるようにしてあげられるもの」として、重宝されてきたからだ。
「テレビ様のおっしゃることだから」で済ませていい時代ではなくなった
たとえば、『鬼滅の刃』はアニメ化前、11巻で合計250万部ほどしか売れていなかった。それが、アニメ化のヒットと同時に1億5,000万部発行の快挙を遂げている。メディアミックスの質が重要なのは言うまでもないが、より大勢が見ているメディアに作品が広まることは、原作の売上にとっても重要なことがわかる。
それを踏まえ、テレビ局はストーリーやキャラクターを大幅にいじることを許容させてきたし、これまで当然のものとして受け入れられてきた。今回も、テレビの内容に原作者がしゃしゃり出てくるなんてありえない、といった姿勢を生んでしまったと考えられる。
ちなみに筆者もさまざまなテレビにゲスト出演しているが、「テレビに出られて嬉しいでしょう?」「芸能人に会えるなんてめったにないチャンスですよ」といった言葉をかけられたことがある。思わず「えっ……」という顔をしてしまった私に対し、そのスタッフさんも「えっ……?」と無言で見つめ合うこととなった。もちろん、丁寧な方も多数いる。ただ、それくらい、テレビ局の中にいる方の一部は、未だ「テレビが偉い」と思っているのだ。
クリエイターは繊細であり、繊細だからクリエイター
そして、それに耐えかねる原作者も当然いる。もともとクリエイターは繊細であり、繊細だからクリエイターになれる面がある。だが、テレビ局をはじめとするメディアは商業でやっている。つまり、売る責務がある。アートとエンタメ。このすり合わせをするため、話し合う義務は改変する側にある。
だが、「原作レイプはよくあることだよね」「まあまあ誰でも、被害にあうからさ」「それでもドラマ化しただけよかったんじゃない?」という言葉が、これまで多くのアーティストを蹂躙してきた。これからは「テレビ様のおっしゃることだから」で済ませていい時代ではなくなった。
今後は、原作を改変するならば作者との合意が必須であろう。そして、改変への合意が敵わないならば、スポンサーがゴーサインを出しても、放映停止になる可能性も出てくる。もし改変にいちいち原作者の首を突っ込まれたくないならば、そもそも原作ありきのドラマ、アニメをやめ、堂々とテレビオリジナル作品を作るべきだろう。
こうして人柱が立つまでわからなかったことが、今回とてつもなく、悔しい。