あなた方の10年前はそんなに立派な生き様だったんですか…松本人志さんと芸能界の「クリーン化」(三浦瑠麗)

ダウンタウンの松本人志を巡る報道について、各情報番組では、コメンテーターの様々な意見が飛び交っている。松本との共演経験も多い国際政治学者の三浦瑠麗氏は「まるで自分の発言がどうネットに受け止められるかということしか考えていないように、“いかにも”な意見しか出てこない」と語る。
みんかぶプレミアム特集「芸能界再編」第3回で、三浦氏がさらなる私見を述べるーー。
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一億総審判化現象
最近、一億総「審判」化現象が起きているように思う。Yahoo!ニュースの一覧を眺めては、そこにダメを出したり、OKサインを送ったりする。プレーヤーではないので当然だが、そこに並べられているメニューに反応している時点で、「据え膳」を食わされているというか、見させられているわけである。スマホとニュースの定食メニュー化のセット効果はおそろしいものだと思う。新聞からスポーツ紙、芸能ニュースに至るまで意識して区別することなく読んでしまうのがこのSNSやYahoo!ニュースの特徴でもある。
人びとが本来、触れなくてよかったニュースに触れてしまうのはそんなときである。触れなければ擁護したりダメ出ししたりする必要もなかったニュースが、一般コメントさえも点数化されることで、態度を明確にせよ、と迫ってくる。SNSで正しそうな側に与していると、なんかすっきりとする。いったん立場を明確にしてしまったものだから、自分の組した側に不利な情報などが出てくるとつい気になってスクロールしたり、有利な再反論を探してしまう…。そんなことはないだろうか。
そして、そのような反射的反応が反映されておすすめ欄が再構築され、書く側のニュース媒体もより反応されやすい記事内容を、見出しを模索するようになる。実際はたいした儲けにもならないのに。記者も実際の好きや嫌いが理由で書くのではなく、人気につられて連鎖反応を繰り返しているだけの状況依存的な存在だ。
ゴシップが一概に悪いものだとは思わない。昔から噂話は人間の娯楽の一つであり、権力闘争に使われるものでもあったから、人間の本質にゴシップを好む何かが宿っているのだろう。だが、それが単なる集団心理で再生産されているのだとしたら、いったい社会はどこに行きつくのだろう。しかも、その不毛な連鎖が話題のネタとなる演者にまで波及しているようなのだ。