オリンピック選手への誹謗中傷…これまで羽生結弦と共にある人々は何度も、何度も訴えてきた「対応するべき組織の見て見ぬふり」
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心無い言葉としたが、それはあまりに表現として柔らかすぎる
あの日、あの時、羽生結弦と共にある人々は何度も、何度も反駁してきたはずだ。
悔しい日もあった、怒りの時もあった。心ない言葉を背に氷上を闘い続けた羽生結弦と共にあり続けた。その競技時代もまた今となっては、かもしれない。プロ転向によって、羽生結弦はすでにまったく別の高次元にある。
それでもあの日、あの時を納得できるはずもないことは、事実だ。心無い言葉としたが、それはあまりに表現として柔らかすぎる。