天災だから、とは言いたくない。人の力を信じたい。羽生結弦はそれでも、その道を選ぶから。能登豪雨…心ない言葉に、揺らぐな。
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なんて難しいのだと、思う
冒頭から恐縮だが『能登半島復興支援チャリティー演技会~挑戦 チャレンジ~』はドコモの映像配信サービス「Lemino」の見逃し配信で9月30日まで観ることができる。見逃し配信のために購入する配信チケットは石川県を通して能登の被災者のために寄付される。震災、豪雨――どうか出来うる限りで構わない。共に能登へ、心を。
それにしても――なんて難しいのだと、思う。
9月21日から能登半島地震の被災地を襲った豪雨は輪島市や珠洲市を中心に死者11名(9月26日時点)が確認された。
現在も4人が行方不明で、その中には女子中学生もいる。自宅近くの海岸から靴も見つかった。他の行方不明者も含め、無事であって欲しいと心から願う。
繰り返すしかないが、なんて難しいのだと、思う。
あの取り戻した笑顔から、一週間も経たないうちに
9月15日『能登半島復興支援チャリティー演技会~挑戦 チャレンジ~』が開催され、あの取り戻した笑顔から一週間も経たないうちに記録的豪雨災害。あんまりだ。
難しい、本当に難しい。それしか言えない。理由もあまりに多すぎて、それを書くことすらむしろ憚られる。これは正直な心だ。
それでも、羽生結弦はあの日15日、石川の地で無良崇人、鈴木明子、宮原知子ら仲間と共に能登に向けて、能登の人々のために祈りを、希望を舞った。
羽生結弦と共にある世界中の人々も能登に眼差しを向けた。
配信が観られなくとも、能登のためにと配信チケットを購入した方々もいた。
これはもはや「人道」であった。これが人道主義だ。私たちは人であるが故にもっとも尊く、そして難しい人道的活動の一員となった。人は人を諦めてはならない。
それでも――なんて難しいのだと、思う。
天災だから、とは言いたくない。人の力を、信じたい
天災だから、とは言いたくない。人の力を、信じたい。
それでも――何を言っても、おそらくはこうした言葉は心ない批判を受けることもある。しかし厚志とは、人道支援とはそれでも繰り返すものだ。それが人道主義だ。
例えば、紛争地域の食料危機や医療に命を賭して尽くす人々もまたそうだろう。現在の国際秩序となって半世紀以上、いまだにアフリカや中東、ユーラシア北部は戦争が繰り返され、貧困と飢餓に脅かされている。いくら尽くしても繰り返されてきた。もう何十年も無政府状態に陥った国もある。
多くの人は言う「もうあの国は無理だよ」と。
あえて挙げるならソマリア、スーダン、イエメン、ハイチ、そしてアフガニスタン――これらの惨状はもう、人の手にはどうにもならない、と言われても仕方のないレベルになって久しい。
それでも、食料危機や医療に命を賭して尽くす人々――国境なき医師団でも、世界食糧計画でも、国際連合児童基金(UNICEF)でも、そうした人々が命を賭けて尽くしている。実際に命を落とす人もいる。
国境なき医師団の掲げる憲章はこの言葉で結ばれている。
〈国境なき医師団のボランティアはその任務の危険を認識し国境なき医師団が提供できる以外には自らに対していかなる補償も求めない〉
なんと厳しいことか。人道的理想とはこれほどに重いものか。2016年にはアフガニスタンで国境なき医師団の病院が爆撃されてスタッフ14人が死んだ。2020年にも同じくアフガニスタンで国境なき医師団のダシュ・バルチ産科病院がイスラム過激派に襲われて多数の母子とともに助産師など25人が死んだ。