それでも羽生結弦は人々のために氷上に立つ…能登・演技会「無慈悲な現実に、私たちはどうすればいいのだろう」
目次
人道主義に至る社会性の昇華
『ニューズウィーク日本版』10月1日号は羽生結弦の今回の能登だけでなく、これまでの被災地支援や人道援助について赤裸々に語られている貴重な特集であった。
実際の細かな内容は雑誌を読んでいただくとして、そこには見出される羽生結弦という存在の利他と、その人道主義の本質を探る思索を試みようと思う。
その語りから見えてくるもの――それは羽生結弦の利他の心の進化、まさしく人道主義に至る社会性の昇華であった。
もちろん、これまでも羽生結弦の利他と社会性は私も多く言及してきたが、今回の羽生結弦の語りからはより具象的な、リアリズムを伴った言葉が多かったように思う。より他者を想うことに自由になった、と言うべきか。
それを受け入れるまで、どれだけの葛藤があったか
復興に向けての運動にせよ、それがまだ現在の羽生結弦という存在からすれば何者でもない東北の高校生だった自身が実践することに叶わなかった――だからこそ被災地のためにスケートを頑張るという「役割」があり、それは「与えられたもの」という受動的な一面があった心情を吐露している。そしてそれに反発し、やがて受け入れたということも。
それはそうだろう、羽生結弦はフィギュアスケーターだ。常に競技会で結果を出し続けなければならなかった。それが大前提だ。
しかし被災者であったこと、同じ苦しみを味わったまさしく「いま、まさにつらい思い」をしている人々にフィギュアスケートで報いること――それを受け入れるまで、どれだけの葛藤があったか。羽生結弦の目指すものが、羽生結弦の置かれている立場が大きくなればなるほどに重くなった。「羽生結弦という存在が常に重荷」「もっとよい羽生結弦でいたい」とは2022年の言葉だが、その心情と葛藤がより具体的に述べられている。
羽生結弦はその重さを「命」と受け止めた
それでも羽生結弦はその重さを「命」と受け止め、それをフィギュアスケートという自身の天分に昇華した。なるほど、だからこそ羽生結弦のスケートとはひとつとして同じもののない「命」であったということか。
だから彼のプログラムのすべてが世界中の人々の心を掴んで離さない、ひとつとして同じプログラムはないのだから、同じプログラムであるように見えてその「命」はまた違うのだから。歴史上、数多の優れた芸術家の作品と同様に。ゴッホの『ひまわり』もモネの『睡蓮』も同じ絵は何枚もあるが、どれも「命」同様に異なる「至上なるもの」であるように。
またその大きさ、あるいは重さという自認そのものもまた、以前よりさらに明確に語っている。それは決して自分は仕事の規模が大きいからとか、世界的な注目を浴びているから市井の人々とは違うといった狭い視野の話などではなく、羽生結弦は幸せと悲しみとするならその幅は同じ、人の感情の幅が同じであると語っている。これはまさしく被災地の人々はもちろん多くの社会で苦しむ人々、悲しみの中にある人々と自身が同じであるということか。
羽生結弦という存在は羽生結弦にとって重たい
彼は羽生結弦だ。時代の子、歴史の人であり、すでに神話を生きている人だ。それでも「みんな」と同じ。心のままに生きとし生ける人々とフィギュアスケートを通して共にあり続ける。共にある人々が幸せであることが自身の幸せという幸福観もまた揺らがない。羽生結弦を支えるその「共にある人々」の支える力もまた強靭ゆえに。