羽生結弦「皆さんと一緒なら」…さあ、私たち歴史を創り上げる一員として「命」の物語『Echoes of Life』を綴る旅へ
目次
人の心を、生きたかった人、そして生きてゆく人、すべてを背負う
つくづく時代の子だな、と思う。
つくづく歴史の人だ、とも思う。
羽生結弦が関東圏以外に選んだ地は、広島だった。
そして日本被団協、ノーベル平和賞受賞――。
それは人によれば「偶然」なのかもしれない。
それを「たまたま」と呼ぶ人もあるだろう。
でも、私は、そうは思わない。
彼の志は、歴史の脈動のままに、時代の子として、歴史の人としてこうしてシンクロする。そういう天道に、ある。
それほどに羽生結弦は、大きな人だ。
そして羽生結弦は、背負う人でもある。人の心を、生きたかった人、そして生きてゆく人、すべてを背負う。
氷上に浮かぶその美しく華奢な背中に背負う。
こうした人を「偉人」と呼ぶ。
偉人は時代に、歴史に愛された人のことだ。
『RE_PRAY』もまた「命」の物語だった
あれは『RE_PRAY』佐賀公演だった。私も現地にあった。そこで彼はその年の1月1日の能登半島地震とともに、はるか80年近くの経つ話に触れたことを思い出す。
佐賀が長崎に近いこと、その長崎の原爆についての重く受けとめ、過ごしていたこと。長崎の被爆二世であること、かつてそれを隠していた過去のある私もまた、嬉しかった。ありがとう、それしかなかった。
羽生結弦の語る通り『RE_PRAY』もまた「命」の物語だった。いや、羽生結弦の作品には常に生きとし生ける「命」が主題にある。
つくづく、なんて主題の大きなフィギュアスケーターだろう。アルベルト・シュヴァイツァーの主題が「生命への畏敬」であったこと、まさにそれを実践し続けている。
私は常にそうした羽生結弦の創作とその矜持について「社会性」という言葉を用いて語ってきたが、創作とは突き詰めれば社会性の問題に行き着く。人が人である限り、人がアリストテレスの言うところの「社会的動物」である限り。
それでも、フィギュアスケーターでここまで哲学的に物事の本質を体現しようとする人は、歴史上いなかったように思う。なるほど世界のアスリートとして100年余の偉人に選ばれるのも必然である。私たちはそんな羽生結弦の時代を共に生きている。