朝市のみなさんも、羽生結弦と共にある人々もまた、一生懸命だ…『羽生結弦 伝えたい思い』能登の思いと笑顔と、さあ『Echoes of Life』へ
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『羽生結弦 伝えたい思い』能登地震、そして豪雨
輪島の人々にとって朝市は生活の糧であり、人生の糧だった。
羽生結弦のとってのフィギュアスケートが、そうであるように。
輪島の人々にとって朝市は、待っていてくれる方たちがたくさんいるから続けられた。
羽生結弦のとってのフィギュアスケートが、そうであるように。
それは震災で潰えた。
それは豪雨に消えた。
それでも、朝市は続く。
「また頑張ろう」と。
11月12日放送、日本テレビ系列「news every.」『羽生結弦 伝えたい思い』能登地震、そして豪雨――羽生結弦は確かに伝えた。思いを、真実を伝えた。
「目の前でそのエネルギーを感じています」
羽生結弦と能登、輪島朝市のみなさんのリモート対話。
あれだけ苦難の連続だったというのに朝市のみなさんは言った。
「一生懸命に動く」と。
それが「心の支え」「よりどころ」そして「頑張ろう」と。
羽生結弦もまた「目の前でそのエネルギーを感じています」と感嘆した。
一生懸命――羽生結弦がこれまでも使ってきた言葉だ。「一生懸命なだけだった」「今を一生懸命生きている」「僕も一生懸命がんばりました」「一生懸命スケートを頑張っていきます」「一生懸命滑りきりました」――挙げるともう、いくらでも出てくる。それぞれに、それぞれの羽生結弦の「一生懸命」が浮かぶ。
羽生結弦と共にあるみんなもまた、一生懸命だ
そして今回の「一生懸命」という言葉――それは羽生結弦と朝市のみなさんの共鳴だった。まさに「Echoes of Life」だ。
世界に誇る日本の巨匠、映画監督の黒澤明の言葉にこうある。
「一生懸命に作ったものは、一生懸命見てもらえる」
まさに羽生結弦のプログラムであり、単独アイスショウであり、競技会すべての結果のことだろう。
一生懸命作ったからこそ、一生懸命見てもらえる、羽生結弦と共にあるみんなもまた、一生懸命だ。
仏教ではこの一生懸命を「精進」とも呼ぶ。
サンスクリット語の元の言葉は「勇者」「勇敢」のような意味合いを持つ。転じるなら一生懸命とは勇敢な勇者こそが実践できる行為だ。すべての善の根本ともされる。心清らかに、真摯に努力し、そして極めようとすること――なるほど羽生結弦が意識的にも、あるいは無意識のうちにも「一生懸命」を言葉とし、そして実践していることは必然である。