羽生結弦に「どんだけ荒稼ぎするの」という批判は「脳みそ中世」…誰だって一生懸命、仕事で稼いでなにが悪い
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稼ぐ人が悪いなんて、それこそ宗教改革以前の社会
その「別のスケーターのファン」曰く「どんだけ荒稼ぎするの」だそうだ。
不思議な話である。
その「別のスケーターのファン」は自分の「推し」(ここでは便宜上使う)に稼いでほしくないのか。
稼ぐ人が悪いなんて、それこそ宗教改革以前の社会のようだ。脳みそ中世か。
はるか昔、仕事とは自分のためにしてはならなかった時代があった。仕事とは神のためにするものだった。神への奉仕であり、人間に生まれた罰だった。
だから自分の快楽や自由のために仕事をして金を稼いではならない。大なり小なりそう信じられてきた時代があった。
現代人からすると理解できない話だが、当時は誰も不思議に思わず、仕事をすることは自分のためでも、金のためでもなく「人間として生まれた罰」と思わされていた。
宗教者やその権威を利用した王家はこうして封建社会を堅持してきた。ヨーロッパに限った話でなく、中世の為政者は宗教的権威を利用した。現代のような科学もなければ世界が今よりずっと明らかでなかった時代の話である。
「推し」が豊かに生活を送ることを願って何がおかしい
これについては本当のところは複雑で、きちんと語るには膨大なテクストが必要となる。本稿の主題ではないのであえて簡便に書いたが、宗教改革とは仕事改革でもあった。
神のため=宗教団体のために働くのでなく、自分やその家族の幸せのために、自分が少しでも自由になるために働いて稼ぐ。近代の扉が少し開いた。
労働は神の罰ではなく自己実現と自己救済のためにある、ひいては社会が豊かになるためにある、それは自分に還って来る――あたりまえの話過ぎるが、あたりまえではなかった。それこそ天動説と呼ばれる、地球を中心に太陽も月も星々も回っているという説が数千年も信じられ、それに異を唱える地動説の学者や聖職者が火あぶりにされたのと同じように。
つまり「どんだけ荒稼ぎするの」と書き立てる週刊女性PRIMEは脳みそ中世でものを書いているのだろう。
まったく、現代人には理解できない話である。
どんなジャンルであれ、自分の「推し」が豊かに安定した生活を送ることができることを願うのはあたりまえだろうに。
そういえば中世の教会は自分たちだけ「神に遣える者」だとしてそれこそ「荒稼ぎ」した。
500年前の感覚で書いているのだろうか
宗教改革は教会の販売した免罪符(贖宥)が決定的にだったことは義務教育で習うが、あの時代は本気で金を払えば天国に行けると信じられていた。しかし苦しい生活の中で天国に行けると言われても出せないものは出せない。免罪符によって魂の罪が許される=金で許される、それも権力によって強いられるという行為は本来の信仰とも矛盾していた。