世界的な巨大企業に、世界的ブランドに見初められ、成功しかない興行…もはや妄想でしか貶められない「羽生結弦経済圏」という幸福
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羽生結弦の「先」を見たい
はっきり言う。
私は羽生結弦にもっと稼いでもらいたい。
もっともっとお金を持って、もっともっと羽生結弦のやりたいことをやって欲しい。
その先を、見たい。
羽生結弦の「先」を見たい
羽生結弦のやりたいことの利他をみんな信じているし、それが叶うことを願っている。
そのためにはもっともっと稼いでもらってかまわない。報われ続けるべき人だ。
努力が報われ人々と共に幸福になることの何が悪いのか、私にはさっぱりわからない。
羽生結弦は利他の人、それはこれまでも行動で示してきた「事実」である。一生懸命自分と闘い、確かな基礎と優れた技術を以て結果を出してきた。
その結果の喜びを多くの人々と分かち合い、ときに笑い、ときに泣いて前のめりに歩んできた。
それを私たちは知っている。
プロ転向後の商業的成功に驕ることなく、アスリートとしての矜持を大切にしながら作品を創り続けてきた。
繰り返す。これのどこが「荒稼ぎ」なのか
〈慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラッテヰル〉※1
※欲はなく決して怒らずいつもしずかにわらっている)
と、宮沢賢治が〈サウイフモノニワタシハナリタイ〉と詩った、そのままの人だ。東北の大地が育んだ二人、私は賢治も羽生結弦も好きだ。
先に挙げたJ.S.ミルは功利主義における「稼ぐ」という行為についてこう語る。
〈自分自身の幸福ではなく、他の人びとの幸福であれ、人類の改良であれ、あるいは何らかの芸術や探究であれ、手段としてではなくそれ自体理想的な目的としての他の対象へと精神を固定させる。そうした人びとだけが、幸福である〉※2
〈行為において何が正しいのかに関する功利主義の基準を形成する幸福とは、行為者自身の幸福ではなく、関わり合いのある全ての人の幸福である〉※3
なるほど羽生結弦も、羽生結弦と共にある人々も幸福であることの証左である。
元松坂市長、山中光茂医師がとてもわかりやすく優しい文章を書いているので一部を引く。
「最大多数の最大幸福」
「100匹の子羊の群れのなかで、1匹の子羊が彷徨い、苦しんでいる。そのとき、1匹の子羊に関わることは、他の99匹の子羊に何かしらの不利益を与えてしまう。そんなとき、羊飼いとしてはどのような行動をとるべきなのか。私の答えとしては、99匹を一時横においてでも、彷徨える子羊を探し出し苦しさから解放するということである。1匹の彷徨える子羊を安易に見捨てるような羊飼いに他の99匹が追従していくであろうか。彷徨える1匹こそまず大切にしたい、まず最も苦しむ子羊によりそってあげたい、そんな羊飼いに私はなりたい」※4