「ああ、始まるんだ。また、新たな革新が」羽生結弦『Echoes of Life』埼玉公演…羽生結弦とNova、そして私たちの旅
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結局のところ「凄い」しかないのは事実なのだから
「ひとりでずっと滑るんですよね? 凄いですね」
別件で浦和美園から向かうタクシーの車内。
「スポーツ新聞でしか知らないけど、何時間も滑るんでしょう。普通、何分とかだよね、凄い」
フィギュアスケートはまったく知らないというタクシードライバーの方は「凄い」を言いたかったのだろう。
羽生結弦の「凄い」を。
ドライバーさんは正しい、結局のところ「凄い」しかないのは事実なのだから。
12月7日、羽生結弦『Echoes of Life』埼玉公演初日。
14:00過ぎたあたり。
さいたまスーパーアリーナ(以下、たまアリ)にはすでに大勢の羽生結弦と共にある人々が集っていた。
思い思いに写真撮影をする人、グッズの見本を眺めたり試着したりの人、すでに「Echoes of Life」のロゴが入ったショッパーバッグを下げた人もいる。
ああ、始まるんだ。また、新たな革新が。
ああ、始まるんだ。
また、新たな革新が。
羽生結弦30年目の先、今日から始まる新しい物語。
聞こえてくる言語も様々、世界中から羽生結弦のために集まった。
たまアリの空は青く澄んでいる。どこまでも澄んで、この空で私たちはつながっている。
ここに来られる人も来られない人も、観られる人も観られない人も、みんな心が集まっている。みんな羽生結弦と共にある。
会場内、いきなり驚かされる。リンク周辺に荒涼とした景が横たわっている。リンクの清涼と対照的な荒涼。
そしてアイスストーリー、自分が何者かもわからない羽生結弦という「Nova」、あるいは「VGH-257」。キーワードと数字しか持たない彼、「わたし」を探す旅。この荒涼はNovaの心か、それとも現実か。それすらわからないままに、Novaは往く。
自分の、足で。
羽生結弦という「Nova」、あるいは「VGH-257」
Novaはひたすら歩く。この映像に表現されていない場面でも、Novaは歩いていただろう。
途方もない距離を。
途方もない時間を。
それを思うと胸が熱くなった。あくまで羽生結弦という「Nova」、あるいは「VGH-257」。それでも羽生結弦もまた、途方もない距離を、途方もない時間を歩んできた。
わたしの、足で。
戦争がことごとく大地を、命を焼き尽くした。欲にまみれ争う人々や生きたかった人々、消えた命の数々の憎悪と悲哀だろうか、Novaの耳に響鳴する。
Novaの能力が発動するとき、それらはかき消された。幻惑の兵士も消えた。いや、消したのか。どっちだ。それはNovaにもわからない。
わからない。だからこそ、よかったのか、そうではないのかと、Novaは自身に投げかけた。正義とは、いのちとは。
そうした羽生結弦という「Nova」、あるいは「VGH-257」の旅だった。
孤独、それでもしっかり歩く物語だった。
細部の考察はネタバレとなるため控えるが、やはりNovaもまた羽生結弦であり、羽生結弦もNovaである。
永遠の探訪者だ。
望みの何かを見つけたとしても、立ち止まることなく歩く人だ。
重力の調和
物語を彩る羽生結弦のプログラムもまた「清新」だった。困るのだ、必ず私の思考の位置など軽く越えてしまう。ついていくのがやっと、いや、ついていけていないかもしれない。