五輪連覇、何度書いたっていい。いや、いまだからこそ…歴史と人で再認識する羽生結弦の偉業とその「価値」

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何度でも、何度でも
好きな話は楽しい、書いていて本当に楽しい。
まして書いておかなければならないこと、残すべき話ならなおさら楽しい。
誰かが知っている話でも、みんなが知っている話でも「残す」こととは別だ。誰が書いたって、何度書いたっていい。繰り返し書いておかなければ、残さなければならないことなのだから。
比較史においても顕著だが、真実であっても残るとは限らない。正しく伝わるとは限らない。だからこそ、繰り返し誰かしらが書かなければ残らない。
歴史とは残酷であり、大衆とは薄情なものである。アスリートで言えば、その時代にどれだけ世界を席巻したとて数字上の記録しか残らない人物もある。それは上下や優劣の話でなく事実である。
多くの人に問えば種目を問わず、これまでの五輪の金メダリストをどれだけ挙げられよう。直近のメダリストすら怪しいのではないか。こうした時と人の流れを「世情」とは、日本語の素晴らしさを改めて実感させられる。
羽生結弦のフィギュアスケート男子シングルにおける五輪連覇は歴史上の偉業である。大偉業である。何を当たり前のことをと思うかもしれないが何度でも、何度でも言わなければならない、声を上げなければならない、書かなければならない。
「五輪連覇」を安易な枕詞に使うだけの媒体も散見される。それでも書いてくれるだけましか。
例の文春はあれだけ好き勝手書いておいて「同市出身」としかない。まともなところは「五輪連覇」くらいは付けるものだ。
例えば「フィギュアスケートで五輪連覇したプロスケーター、羽生結弦さん」(日テレ)、「フィギュアスケート男子で五輪連覇の羽生結弦さん」(スポニチ)、「フィギュアスケート男子で2014年ソチ、18年平昌五輪連覇の羽生結弦さん」(スポーツ報知)と主題の人物紹介には枕を付けるものだ。本当に文春、出版倫理とか以前に人として駄目だ。
約100年の歴史の中で4人
せっかく好きな話を書き留めるつもりがまた忌々しい話になってしまったので戻すが、この「五輪連覇」、フィギュアスケート男子シングルでは羽生結弦を入れて4人しかいない。
スウェーデンのギリス・グラフストローム(1893-1938)、オーストリアのカール・シェーファー(1909-1976)、アメリカのリチャード・”ディック”・バトン(1929-2025)、そして日本の羽生結弦である。
約100年の歴史の中で4人、これだけで間違いなく歴史上の人物である。
その中のひとり、生前に羽生結弦を「別格」「破格」「二度と見られない演技」「もはや点数は関係ない」「金以上のダイヤモンド」と、のちのプロアスリート宣言後の興行、とくにアイスストーリーの歴史的成功をも見越したような高い評価を続けたバトンについては以前書いたがあとの二人、グラフストロームとシェーファーはその名と戦績のみに留まっている。
女子のシングル連覇はソニア・ヘニーとカタリナ・ヴィットであり散々書いてきたが、よくよく考えれば男女の境なく「フィギュアスケートシングル」と括ってもシングルの五輪連覇は6人しかいないことになる。
この中に日本人、羽生結弦がいる。
もう日本人という括りもいらず世界史における羽生結弦という存在と思うが、なんだかんだ日本人としてこれほど嬉しいことはない。そして同じ時代に生きている、これもまた僥倖であり、奇蹟と言って差し支えないだろう。この喜びを知る私たちは本当に幸いである。
ギリス・グラフストロームは歴史上唯一の五輪のフィギュアスケート男子シングル3連覇を成し遂げた。1920アントワープ、1924 シャモニー、1928サンモリッツと3連覇、1932レークプラシッドでは後述するシェーファーに敗れ銀となる。もちろんフィギュアスケートで4大会連続メダルも彼が唯一である。
もっとも、グラフストロームが3連覇した当時の五輪は欧米の数カ国しか出場しなかったためというのもあり(のちの1932レークプラシッドで老松一吉、帯谷竜一が出場したのがアジア初のフィギュアスケート出場)、現代ではまず達成不可能であろう記録だが、それでも3連覇は女子のソニア・ヘニー(ペアなら途中でパートナーは変わったが「ペアの女王」イリーナ・ロドニナも3連覇)と同様「異次元」の記録である。