「The First Skate」そして〈Pray for peace〉・・・羽生結弦という歴史の只中にある昂揚と「命」の記憶(後)

目次
ヒロシマ
水辺は白鳥の命の場であると書いた。
フィギュアスケーターにとってのアイスリンクもまたそうだ。大げさでなく、彼らの命の場だ、とも。
震災を経験した羽生結弦の、その「命の場」に対する切実な想いも。
1945年8月6日、広島市。
広島がヒロシマとなった、あの日。
あの日の広島市も、水辺が命の場となった。
ヒロシマの被爆者でもある詩人、原民喜の構成詩『原爆小景』には『水ヲ下サイ』と題した詩片がある。※1
「水ヲ下サイ」「ノマシテ下サイ」
水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ
死ンダハウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
オーオーオーオー
オーオーオーオー
一輪の花の幻
一節のみ引いたが、転記しているだけでも目頭が熱くなる。
原民喜は私の愛する詩人のひとりだが、45歳で中央線の吉祥寺-西荻窪間の線路上で自死するまで詩作だけでなく小説『夏の花』などを発表し続けた。原爆ドームと共に佇む原民喜の碑銘はこう綴られている。※2
遠き日の石に刻み
砂に影おち
崩れ堕つ 天地のまなか
一輪の花の幻
また、原爆ドームの傍らを流れる京橋川には『永遠のみどり』と題した原民喜の遺影と詩が刻まれたプレートがある。※3
ヒロシマのデルタに
若葉うづまけ
死と焔の記憶に
よき祈よ こもれ
とはのみどりを
とはのみどりを
ヒロシマのデルタに
若葉したたれ