ココ・シャネル「傷ついた人々が偽りのない無垢と白を求めていたから」・・・私の思う羽生結弦の色「白」

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白の時代
かつてココ・シャネルは言った。
1900年代前半の世界恐慌後、パリで白い服が流行ったのは「傷ついた人々が偽りのない無垢と白を求めていたから」と。
時代は常に、時代の象徴を創り出す。
羽生結弦という時代の子を表現するとき、やはり私の中のイメージは「白」である。パブロ・ピカソの青の時代、薔薇色の時代になぞらえるなら「白の時代」と言ってもいい。
清廉で真っ直ぐな、白。
私は以前もこう書いた。抄出する。
〈羽生結弦は、白がよく似合う。白鳥、ロミジュリ、SEIMEI――白が基調、というならもっとある。いまさら各々を取り上げるまでもないが、羽生結弦は、白がよく似合う。ダニーボーイはその最たるものだ〉
〈白以外もよく似合うというか、なんでも似合うというか何を着たって羽生結弦の色になるのだが、でも「羽生結弦の色」、私の中では白だ。私の中では羽生結弦は何を着ても白だ。ある意味、おとぎ話における白馬の王子もまた主人公=女性の再生を意味する。彼と出会って恋に落ち、再生するのだ〉
〈白とは再生の色、それは当事者のみならず、多くの心を新たに創る。白鳥、ロミジュリ、SEIMEI、そしてダニーボーイと私たちがそれらを想うのは、数千年の「白」の文化がいまも息づいているからと言って過言ではない〉
ダニーボーイの白が好き
私はそのダニーボーイの白が好きだ。ダニーボーイについてはこうも書いた。
〈羽生結弦の「ダニーボーイ」を「美しい」と感じ、そして体得した。羽生結弦の「ダニーボーイ」は私たちの美意識と共鳴した。ゆえに「ダニーボーイ」はフィギュアスケートの美的価値を一段階上げた〉
これは『羽生結弦 notte stellata 2024』についての考察だったが、ダニーボーイを「カルミナ・ブラーナ」と共に「事件」としながらも「白」については言及していない。この時点で私は「白」を見出していない。表層的な白の先を見ていない。
これを意識させられたのは、やはり『Echoes of Life』広島公演だった。
〈ダニーボーイ、其は美しい。ヒロシマに咲く白き祈り、永遠なる美しき時代の子〉
その感動をこう記したが、私にとっての羽生結弦の好きな「白」はダニーボーイだ。羽生結弦という白、その究極に思う。
〈広島公演の私は泣くと同時に心は祈りにあった。自然と祈っていた。氷上の羽生結弦は白き花だった〉
〈瓦礫に咲く白き花――舞台装置の荒涼とした大地の演出だけでなく、私には羽生結弦が瓦礫、あの原子爆弾の投下という愚かな人の行為によって消えた数十万の命のひとつひとつに想いを寄せ、祈り、舞う白き花に見えた〉