何度でも書く、AIPS「100年間のベストアスリート」羽生結弦の選出…偉大なるフェデラー、そしてボルトと共に(2)

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すべてにおいて「選ばれる」にふさわしい
なるほどロジャー・フェデラー、国際スポーツプレス協会(以下、AIPS)の世界137カ国のジャーナリスト913人が選んだ100年間におけるベストアスリート男女20人、すべてにおいて、選ばれるにふさわしい。
もちろん、羽生結弦も。
最強であり人格者にして篤志家、フェデラーはテニス界において「唯一孤高」とも称されるが、これもまた羽生結弦だろう。
それぞれに違うことは当たり前のこととして、この100年のベストアスリートとするなら、競技は違えど比較史としての共通点も多く見出されるように思う。
そしてもうひとり、私が羽生結弦と共に選ばれた「ベストアスリート」で書きたい存在がある。
いまも世界中で注目を浴び、称えられ続けている
「人類最速」「ライトニング」
そう、ジャマイカが生んだ稲妻、ウサイン・ボルトである。
カリブ海に浮かぶ島、ジャマイカは人口280万人、日本で言えば茨城県くらいの人口である。しかし陸上大国としてボルトの他にもアサファ・パウエル、リンフォード・クリスティ、ドノバン・ベイリー、マリーン・オッティ、シェリー=アン・フレーザー=プライスといった世界的な陸上選手を輩出している。
ちなみにドーピングで永久追放になったがベン・ジョンソンも出身はジャマイカである。
ボルトはある意味、そうした陸上大国の究極体と言っていい。
ボルトは五輪の男子100mで3大会連続の金メダルを獲得している。2009年ベルリン世界陸上で記録した9秒58はいまだに破られていない。五輪の男子200mでも3大会連続の金メダル、男子4×100mリレーの金メダルを合わせて8個の金メダルを獲得している。
というかボルトは五輪で金メダルしか獲っていない。「しか」という言葉がこれほど奇妙なこともないが、ゴールドコレクターと呼ぶにふさわしい、まさに「人類最速」であった。
この夏に開催された東京2025世界陸上のために来日、再び日本で話題となったが、ボルトはいまも世界中で注目を浴び、称えられ続けている。
言いたくはないが、ホームラン何本だ、投げて何勝何敗だと、ある特定の野球選手ばかりが扱われる日本(というかマスコミ、とくにテレビ)が特殊なだけで、ボルトにしろ先のフェデラーにしろ、日本とは別の次元で多くの人々がいまも彼らの一挙手一投足を追っている。
自分こそが最大の敵
もちろん羽生結弦もそうだろう。競技会時代はもちろんプロアスリート宣言後のアイスショウには世界中のファンが詰めかける。100年間におけるベストアスリートにアジアから唯一選ばれる。
〈俺にとって、自分自身こそが最大の敵〉
ボルトは自伝『USAIN BOLT Faster than Lightning My Autobiography』(以下、ボルト自伝)にこう書いている。
そう、ボルトはすでに自伝を残している。羽生結弦にもあるが、歴史的なアスリートは自伝が求められる。それもまた「歴史の人」の使命と言ってもいい。
ボルトは高校時代、すでに〈自分自身こそが最大の敵〉であった。
羽生結弦も高校生でNHK杯優勝、全日本選手権制覇と実現しているが、〈自分の中で〉(自分のやれることを〉とすでに「自分」という内省に域にあった。