何度でも書く、AIPS「100年間のベストアスリート」羽生結弦の選出…偉大なるフェデラー、そしてボルトと共に(4)

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金メダリスト、3週間後には「ハードワーク」
国際スポーツプレス協会(以下、AIPS)の世界137カ国のジャーナリスト913人が選んだ100年間におけるベストアスリート男女20人。
その中の、「人類最速の男」ウサイン・ボルト、そして羽生結弦。
2008北京五輪、ボルトはリチャード・トンプソン、アサファ・パウエルといった優勝候補を抑えて金メダリストとなった。それも世界新記録の9.69(当時)。そして自分の言葉の通り、100m、200m、男子4×100mリレーの3つの金メダルを持ち帰った(リレーは第1走者ネスタ・カーターの薬物違反で2017年にメダル剥奪)。
羽生結弦はこのとき14歳、この年の11月に全日本ジュニア初優勝、12月に全日本選手権初出場、総合8位で日本中を驚かせた。
五輪金メダリスト、世界記録保持者となったボルトは小さな島国、ジャマイカの英雄となって凱旋帰国した。浮かれる間もなく、コーチのグレン・ミルズはこう言った。
〈ハードワークをここからスタートする、ウサイン〉
脚はつるし、腹の中の食べ物が全部出る、ボルトは金メダリストになって3週間後には文字通りの「ハードワーク」をこなした。
「君はもう単なるウサインじゃない」
先に私は天才という言葉を安易に使うことを好まないと書いた。こういうことだ。
才能は間違いなくある、あたりまえだ、若くして金メダリストで世界記録保持者なのだから。しかしそれ以上に努力がある。努力の才能がある。そして少しの、少しだが大きな運もまたある。
コーチがボルトをテレビ出演やらタレント活動に引っ張り回すような人だったなら現在のボルトはあるまい。人との出会いもまた運である。天命、といったところか。
羽生結弦にもそうした努力とその才能、そして人との出会いという天命があったことは言うまでもない、みなが知るところだろう。彼らの時代の子、歴史の人である証左である。
〈君はもう単なるウサインじゃないんだ。君はいつでも、ウサイン・ボルトというブランドであり、ビジネスそのものなんだ〉
ボルトの代理人、リッキー・シムスもまた言った。支えてくれるスポンサーに対して恥ずかしくない行動をしろと。
若いボルトは陽気なジャマイカンとして交通違反や事故などやらかしている。2009年の事故は選手生命どころか命すら危ぶまれた。
アスリートの鏡を目指したいと誓ったボルト
しかしライバルのひとり、タイソン・ゲイが「ボルトの記録など十分に破れるもの」と言ったことで奮起、足の傷がまだ癒えないというのにハードなトレーニングを重ね、携帯電話やメールを絶ち、北京五輪中に1000個は食べたと豪語するチキンナゲットなどジャンクフードも絶った。
〈アスリートの鏡〉を目指したい、と誓ったボルトの生まれ変わった姿だった。
元から羽生結弦はストイックだったのでボルトとは対照的だがボルトには事故、羽生結弦には震災といった人生のきっかけは誰にもある。それを生かすも殺すも自分しだい、彼らはそうしたきっかけを掴む才能もまたあったということだ。
それにしてもボルトは本当に人に恵まれた。ミルズはコーチとして、
〈トレーニングしなきゃいけないぞ。リラックスなんてできないんだ。もっともっと勝たなくちゃいけないんだ〉
と、金メダルを何個とろうが世界新記録を塗り替えようが〈ウサイン!〉と呼んで檄を飛ばし続けた。
もちろん人それぞれに指導法は向き不向きはあるが、ボルトは尻を叩きまくったほうがなにくそと伸びるとミルズはわかっていたのだろう。それについて来れることも。
ボルトが〈二人目のお父さん〉と呼ぶミルズコーチーー羽生結弦にも阿部奈々美、ブライアン・オーサーといった大切なコーチがいた。本当に、出会いもまた天命なのだと思う。
ちなみにボルトはその後、2012ロンドン五輪でも大会新記録で金メダルをとった。しかしミルズに〈アマチュアだ!〉と言われた。金メダルをとったのに、と困惑するボルトにミルズは世界記録が出るはずがゴール直前でミスをした、と指摘した。そして〈お前なら9秒04だっていける〉とも。