花言葉は「希望」、そして「前へ」・・・「羽生結弦 notte stellata 2026」私たちの春が、来る。(4)

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notteも「事件」の連続だった
羽生結弦は「事件」を起こす。
それも極上の「事件」だ。フィギュアスケート史のみならず芸術史、人の歴史そのものに於ける「事件」である。
2023年から始まった、祈りと希望の氷上祭典「notte stellata」もまたそうだ。
羽生結弦のアイスストーリーと共に、notteもまた「事件」の連続であった。
まず、2023年のnotteはそれそのものが事件である。すべての始まり、これしか言い様がない。
私はプロアスリート宣言後の羽生結弦によるショウを「ひとりバレエ・リュス」と書いたが、20世紀芸術の幕開けとなった伝説のバレエ集団「バレエ・リュス」の要素すべてを内包しているのが羽生結弦という存在だ。
これが誇張でないことはこれまでも書いてきたし、そもそも羽生結弦のアイスストーリーという史実を見れば一目瞭然である。競技会時代も含め、21世紀氷上芸術の幕開けこそ羽生結弦であった。
そして2024年の「notte stellata」、私は「カルミナだ!」と心の中で叫んだ。私は「神の子の自由」とも書いた。
〈氷上でなく、私には花畑に見えた。まさしくそこは楽園だった。神の子の自由、羽生結弦が善き意味で何も考えず、その純粋な心のままにいられた時代。大好きなフィギュアスケートと家族、友人のことだけを考え、慈しむことのできた時代、つまり、羽生結弦が「天使」であったころの自由である〉
羽生結弦という存在を象徴するカンタータ、そこに降臨した運命の女神こそ大女優、大地真央であった。そもそも氷上芸術と大地真央とのコラボ、2023年の内村航平とのコラボもそうだったが、こうした発想からして尋常でない。カール・オルフ作曲のカンタータ『カルミナ・ブラーナ』は悪しき力とそれに抗う人間讃歌、人の運命と人の強さとを高らかに謳い上げる。羽生結弦が暗黒にもがく。