花言葉は「希望」、そして「前へ」・・・「羽生結弦 notte stellata 2026」私たちの春が、来る。(5)

目次
「美」に秘められた祈り
そう、ダニーボーイだ。
ああダニーボーイ、其は美しい。
羽生結弦「notte stellata 2024」の奇跡こそ「ダニーボーイ」であった。
いや、必然と言うべきか。氷上芸術の歴史の中で、この「ダニーボーイ」はまさしく奇跡であり、必然であった。そして、これもまた「事件」であった。
私は羽生結弦の「ダニーボーイ」を美術作品とも捉える。
〈しなやかな筋肉、隅々まで柔らかく、氷を、空間を、ストーリー性を内包したキャンバスとして身体を以て描く。「未来の希望に向かって祈りを捧げる」というイメージが、彼の体現によって「優美」となった。美意識が主体性を持つと「優美」となる。美の実体とはそういうものだ〉
〈私は羽生結弦のエッジ、そして指先がとても好きなのだが「ダニーボーイ」のエッジ、そして指先は「優美」そのものである。これも簡単に書くが、簡単ではない。そもそも「優美」とは美意識の主体性が伴わなければならないため、そう簡単に「優美」などと語ることがあってはならない。なぜなら「美」は本来、相対的でなく絶対的なもので、哲学者イマヌエル・カント(『美と崇高との感情性に関する観察』)の言葉の通り「崇高」かつ人の素朴な魂でも捉えることのできる感情、つまることころ「美意識」との共鳴がなければ成立しないからだ〉
その「美」に秘められた祈りーー美は尊厳でもある。本当に美しいものは命を慈しむ、育む、守る。美は強いものだ。
強くなければ命を守れない。弱さを知らなければ命に寄り添えない。
だから、ダニーボーイは美しい。羽生結弦のダニーボーイは「崇高」そのものである。
東日本大震災ばかりではない。多くの震災や戦争が世界中で起こっている。コロナ禍の記憶に新しい疫禍もそうか。誰しもが強い側にもなれば、弱い側にもなる可能性がある。その境目など誤差でしかない。いや、カルミナではないが「運命の糸」に操られているだけだ。