愛他の人、そして私たち。さあ『羽生結弦 notte stellata 2026』約束の地へ、その身を、心を。(1)

目次
羽生結弦は愛他の人
「愛他」という言葉がある。
一般的には「利他」だろうか。辞書の中には同義とするものもあるが、私は好まない。
利他には「利」という前提がある。それはそれでまったく問題ないし、私だってそうだ、みんな人なら「利」を望む、そういうものだ。むしろ「他」の心があるだけ素晴らしいことだ。
しかし「愛他」となると違うと思う。もはや自己の「利」は前提でなく「愛」が前提となる。
利他の対義語は「利己」となるが、愛他の対義語として「愛己」という言葉はない。利己に差し替えられて使うことになるが、私は愛他の対義語はないと思っている。愛他は絶対的である。
しかるに、羽生結弦は愛他の人だと思う。かつて利他とも書いたが利他でもあり、愛他の人ということである。そこに上下優劣貴賤はない。利他も愛他も尊い、そういうことだ。
それでも、その象徴のひとつである『羽生結弦 notte stellata 2026』を前に語りたい。愛他の人のことを語りたい。
そもそも「他を愛する」とは、どういうことだろう。
羽生結弦の、愛
利でなく愛なのだから「LOVE」(愛)だろうか。それとも「Affection」か。「Philia」もある。すっかり意味合いが変わってしまったが「Eros」も「愛」だ。
その愛、私は「Agape」(アガペー)だと思う。
あの日、生きたかった人たちへの愛、いまを生きる人たちへの愛、地元愛、そして、フィギュアスケートへの愛。
それがnotteの愛。
羽生結弦の、愛。
アガペーには「無償の愛」という意味がある。本来、神の愛だ。
先に愛他は絶対的と書いたが愛他(altruism)の類義語ならアガペーだろう。実のところ違うと言われてしまうであろう独論だが、それほどまでのことと思う。これほどまでの、羽生結弦の愛他だと思う。notteはその証左である。
では歴史上で愛他の人を挙げるなら、私はフローレンス・ナイチンゲールの名を挙げたい。「白衣の天使」、「クリミアの天使」、19世紀の人物だが、私たちが曲がりなりにも医療に救われているのは、彼女の先見性とその献身によるアガペーの伝播によるものが大きい。
この身を捧げる
看護師の継灯式(かつては戴帽式)で唱和される「ナイチンゲール誓詞」にはこのような詞が刻まれている。拙訳だが書き出す。
私たちはここに集う人々の前に堂々と誓う。
私の一生を清く生き、私の使命を忠実に尽すことを。
私はあらゆる毒、あらゆる害を使うことなく、また知りながらこれをしない。
私は力の限り、私の使命を高めよう。
私の使命の対象となる人々の私事、家庭の内事、私は他者に漏らさない。
私は心から仲間を助け、私に託された人々の幸せのために、この身を捧げる。
直訳するともっと医療関係者ならではの訳になるのだが今回は広く意味をとって訳した。直訳ならあらゆる毒や害は薬と共に書かれ、仲間は医師のことである。
それはともかくとして、羽生結弦のこれまでの篤志を想えば、notteを想えばまさにすべてにおいて当てはまるフレーズと言っていいだろう。