愛他の人、そして私たち。さあ『羽生結弦 notte stellata 2026』約束の地へ、その身を、心を。(3)

目次
誰に言う事なく
ナイチンゲールは愛他を広めることに力を注いだが、自身の愛他を広められることは好まなかった。
ナイチンゲール自身を戦意高揚や母国(イギリス)の宣伝に利用されることにも嫌悪した。写真嫌いで、本稿にある写真と数点しかないのもよく知られた話だ。
いっぽう、ナイチンゲールを心よく思わない人々や当時の敵国からは目立ちたがり、天使きどりといった誹謗中傷に晒された。
しかしナイチンゲールは人々の健康と福祉、その幸せのためならナイチンゲールの名を惜しまなかった。
羽生結弦がチャリティーにおいて羽生結弦という存在を利用して欲しいと語るのと同様に。誰に言う事なく、篤志の実践者として。
それでも悪く言う連中がいるーーいつの時代もそういうものだが、この時代に声を上げた人々がいたからこそ、いまのナイチンゲールがあると考えれば、やはり声を上げるのは大切なことだ。だからこそ、私たちも声を上げる。
誹謗中傷ーーそれでも、ナイチンゲールは人々のため、前に進み続けた。羽生結弦もそうだ。私たちもそうだ。
あってはならないこと、それでも、それがあるなら戦わなければならない。声を上げ続けなければならない。ときに自身を省みること無くーーこれもまた、愛他だ。
愛他の行動ができる人
この「愛他」について、コントと違った意味で提唱したのがピティリム・ソローキンというロシアの哲学者である。
彼は愛他の人を「超意識」であるとした。
これを私見としてまとめるなら「愛他の心は無私無欲の心から沸き起こる、自我の底にある他者を中心に据えた発想と行動という自我」ということになる。
〈人間には、可変的な肉体とは別に、不変の「私」ないし「霊」がある。それに気づくと、今度は、他者の中に「私」を発見し、手を差し伸べることとなる。はじめは近しいものから、しだいに縁遠いと思われる人たちに対してまで、差し出される。その働きを端的にいうと「愛」ということになろう〉※1
つまり、自然とそうした他者に手を差し伸べる、愛他の行動ができる人の発心こそ「超意識」ということになる。この「自然と」は自分を愛する人だからこそ、自分を大切にする人だからこその発心でもある。これはちっとも矛盾しない。
〈現代社会というものが、仮に自己本位性の社会であったり、世俗化した時代であったりしていたとしても、隣人愛や利他愛は存在しうる。(中略)それは自分を大事にすることと同時に相手を愛することとが、決して矛盾するものではない、という論理である。(中略)利他愛と自己愛とは、互いに相反するものではない。むしろ自分を愛さないものが他人を愛することはできないし、また逆に他人を慮外においていては自分を愛することはできない〉※2