佐藤優「ロシアが勝っているのは明白だ! 」副島隆彦「プーチンは西側の”ゼレンスキー支援疲れ”を狙っている」

ウクライナ情勢を語る専門家をテレビで見ない日はない。だが、それらの知識人を「何もわかっていない」と厳しく批判するのが作家の佐藤優さんと副島隆彦さんだ。ロシアの論理に詳しい2人が、知識人のあるべき姿を考える――。全4回中の2回目。
※本稿は佐藤優、副島隆彦著『欧米の謀略を打ち破り よみがえるロシア帝国』(ビジネス社)より抜粋、編集しました。
第1回:副島隆彦「私はプーチンがウクライナで開戦し、感動した」…佐藤優と語る「ロシア側の見方」
第3回:佐藤優「ロシアTV『悲しむウクライナ人は合成』…なぜ西側は報道しないのか」副島隆彦「私はプーチン頑張れ派」
第4回:佐藤優「情報分析からロシアが勝つと確信している」副島隆彦「プーチンがどんなに優秀で正しいか」
核抑止理論は破綻しているが、プーチンは核を撃たない
副島:プーチンが、「私をこれ以上怒らせたら核を撃つぞ」というイワン雷帝と同じような、敵を皆殺しにしてやるという態度に出ました。このとき西側の首脳たちは震え上がった。プーチンをみんなでからかって痛めつけていたら、あいつは本当に私たちを全滅させる、と怯(おび)えた。全面核戦争の可能性が出てきた。あのとき(2月28日) 核抑止理論が壊れましたね。
佐藤:ええ。ただ核抑止理論は、イランのアフマディネジャド大統領(当時)や北朝鮮の金正日総書記(当時)に対しては崩れています。死んだ後、オレたちはみんなアッラーのもとに行けると考えている人たちとか、わが民族が滅亡しても、アメリカ帝国主義者と最後まで戦ったという記録が残ればよいと考えている独裁者に対して、抑止は有効ではありません。
イスラエルの情報専門家に聞いたのですが、アフマディネジャドは本当にエルサレムに核ミサイルを撃つ気だとモサドは分析していた。どうしてかというと、エルサレムに核ミサイルを撃ってもお隠れイマームが現れて、イスラム教徒だけは助けてくれると信じているからだそうです。
副島:そうですね。抑止力というのは「やったら、やり返すからな」という必ず仕返し(反撃)するゾという動物の本能から生まれた思想です。本当は自己保存(自分を守る)のための思想なんですが、動物と違って人類は自分を滅ぼしてでも相手をやっつけようとする。人間(人類)は狂ったサルですからね。
核戦争の可能性が、ウクライナというヨーロッパのはずれで出てきた。ただ、西側としては「ロシアの脅しには乗らないぞ」の一点張りですね。西側で最高級の核分析をやっている、核使用の決断をしなければならない人々にとっては、これ以上は一言も答えられない。彼らは判断停止に陥る。そして、ただひたすら「脅しには乗らない」と言う。まったく分析になっていない。
佐藤:西側として「必勝の信念」を持っていますよ、と言うだけです。ただ私は、ロシアは核兵器を使うことはないと、比較的、楽観視していますね。なぜなら、戦局がロシア有利で進んでいるから。ただし、一つ可能性があるのは、クリミアを含むロシア本土をウクライナが攻撃した場合です。クリミアにあるロシアの軍港セヴァストポリをウクライナが取ろうとしたら、ロシアが核を使う可能性はある。
副島:あとは、ロシアの飛び地のカリーニングラードです。ポーランドとバルト三国のあいだにある。このカリーニングラードからベラルーシに抜ける地溝帯があり、ここを鉄道と道路がロシアに向かって走っている。スヴァウキ・ギャップといいます。65㎞の長さがある。ロシア軍とNATO軍の戦車隊が厳しくにらみ合っている、一触即発状態です。ポーランド軍を中心とするNATO軍がスヴァウキ・ギャップに攻撃を始めたら、戦術核(小型の核兵器)を使う可能性が高い。
プーチンが待つ西側諸国の “支援疲れ”
佐藤:今のままだと停戦に向けたシナリオは3つしかありません。1番目は、副島先生や私を除く、日本の圧倒的大多数の人が望んでいる、正義のウクライナが勝利して、ロシアを、ドンバスのみならずクリミアも含めて全部追い出すこと。
2番目は逆に、ウクライナにロシアの傀儡(かいらい)政権が誕生する。3番目は、どこかで膠着状態になる。そしてウクライナの東部と南部はロシアが併合し、西部を拠点にする非常に反ロシア的な国家ができ、残りの地域は中立化する。
副島:3番目が、一番可能性があるでしょう。
佐藤:私もそうだと思います。どこかの状況で膠着状態が生じたときに、出てくるシナリオが停戦です。2014年から現在、ロシアが実効支配している領域が増えた。では、どちらが勝っているかと言ったら明白で、ロシアですよ。それこそ戦況図を見てみればいい。始まる前と始まった後で、ロシア領とウクライナ領のどちらが多いかがひと目でわかる。
副島:5月23日にヘンリー・キッシンジャーがダボス会議にリモートで参加した。「2カ月で停戦しなさい」と言った。状況を開戦前に戻して、東部のドネツク、ルハンスクの2州だけロシアに与えろと言ったようです。これだけでも世界に大きな衝撃を与えました。さもないとロシア軍はNATO軍とぶつかることになる、とキッシンジャーは警告した。
佐藤:それに先立つ5月19日には、『ニューヨーク・タイムズ』の社説で、「いつまでもアメリカはウクライナを支援できないし、クリミア半島を含む領土の回復は非現実的だ。だから妥協が必要になる」ということが書かれた。
つまり、共和党系のリアリストであるキッシンジャーも、バイデンの応援団であるところのニューヨーク・タイムズも「そろそろ停戦を」と意見表明したわけです。面白いのが、その両方ともロシアの国営第1チャンネルがすぐに放送したのです。するとゼレンスキーが、ニューヨーク・タイムズの社説とキッシンジャー発言だけを名指しで非難しました。つまりロシアのテレビで宣伝されると、ウクライナも気にするんですよ。
副島:プーチンは西側同盟が〝ゼレンスキー支援疲れ〞になるのを待っている。英語でZelensky support fatigueと書いてあった。厭戦(えんせん)気分(war fatigue)が欧米を覆っている。とくにドイツとフランスが支援疲れで嫌がるようになった。ロシアからの天然ガスを閉められるのが痛い。やはり、シースファイヤー・アグリーメント(停戦協定)を結ぶしかない。停戦協定を締結できるかどうかが、どうしても、この先の1つのメドになる。
佐藤:そうです。何が起きているのかというのは非常にはっきりしていて、2月24日にプーチンが開戦目的で言ったことが着実に達成されつつあるだけのことなのです。
引っ込みがつかなくなった日本の知識人
佐藤:私は、日本のテレビ報道をほとんど観ていません。なぜなら、大半がノイズだからです。本当に重要なのは、まさに第三者の視点を失わないことなのです。私たちは当事者ではありませんから。第三者は「お前、手を上げて降伏しろ」と言ってはいけない。そんなのは無責任です。しかも「最後まで戦え」などと言うのは、もっと無責任です。
副島:だから私は今回、橋下徹が重要な人間だと考えています。
佐藤:彼は、だいぶ叩かれていましたね。
副島:戦争が始まった直後、世の中が「ウクライナ頑張れ」一色だったときに、「そう言うお前ら国会議員たちは、ウクライナに行って戦え」と言った。この「お前ら」というのは日本維新の会の政治家たちという意味でした。すると、橋下に対して「お前こそウクライナに行って戦ってこい」の嵐が起きた。炎上と言うのですか。そうしたら2月26日に、橋下は「僕は勇気がないから行きません」と言ったのです。
佐藤:いやあ、大したもんじゃないですか。
副島:大したもんなんだよ、大したもん。実に正直だ。彼はその後、「政治的妥結」という言葉を使い続けた。ゼレンスキーはロシアと妥協して、ウクライナ人がなるべく死なないようにしなきゃいかんと主張した。
これを言い続けた結果、ついに日本維新の会からも追放されました。3月末で顧問契約停止でした。橋下は維新の会の創立者ですからね。私は、橋下、お前は偉い、それでこそ国民政治家だと思いました。国民が死なないようにすることが、指導者として一番大事だと。
佐藤:日本維新の会の参議院議員である鈴木宗男さんも、国会で「停戦するようゼレンスキーに働きかけるべきではないのか」と質問していましたけどね。
副島:それが正しいんです。停戦こそが指導者がするべきことです。やってはならないのは、国民を扇動して戦場で死なせることだ。反戦平和こそが人類の願いだ。戦争をしたがる人間はバカです。
佐藤さんの親分の鈴木宗男さんが、日本の政治家で一番勇気があって正しい。そのために、鈴木さんは「維新の会から追い出せ」と言われているんでしょ。
佐藤:でも、彼は追い出されてはいません。橋下徹はそこのところを間違えたのです。彼は最初、「ウクライナは降伏すればいい」と言っていたでしょ。そうではなくて、最初から「停戦すべき」と言っていればよかったのです。
その点、鈴木宗男さんは、ロシアだけではなくウクライナにも寄り添っています。それで、岸田総理に「停戦のためのリーダーシップをとるべきではないのか」と言っているわけです。

▽プロフィール
副島隆彦 1953年、福岡市生まれ。早稲田大学法学部卒業。外資系銀行員、予備校講師、常葉学園大学教授などを経て、政治思想、法制度論、経済分析、社会時評などの分野で、評論家として活動。副島国家戦略研究所(SNSI)を主宰し、日本初の民間人国家戦略家として、巨大な真実を冷酷に暴く研究、執筆、講演活動を精力的に行っている。
佐藤 優 1960年、東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在英日本国大使館、在ロシア連邦日本国大使館勤務を経て、本省国際情報局分析第一課主任分析官として、対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕され、2009年に外務省職員を失職。圧倒的な知識と経験を活かし、執筆活動など多方面で活躍中。