稲盛和夫亡き京セラは虎の子「KDDI株」を売るのか、売らないのか…有力機関投資家との水面下での協議続く

企業が互いに株式を保有し合う「持ち合い」は、資本市場において不健全な日本的慣行とみられることが多い。持ち合いの解消を求める外国人投資家も少なくないが、どこに問題点があるのか。日経新聞の上級論説委員兼編集委員である小平龍四郎氏が解説するとともに、今年、その持ち合いが原因によって、“トップの選任率が驚くほど低い会社”が出る可能性もあるとみる――。
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PBR1倍超え銘柄数は昨年から大幅に増加
昨今の株式市場を見ていて、変われば変わるものだとつくづく思うことがある。株式の持ち合いだ。企業と企業、あるいは企業と銀行がお互いに株式を保有することにより市場に出回る株式を減らし、買い占めなどを防ぐのが「持ち合い」。生命保険会社や損害保険会社が売らないという暗黙の前提のもと、企業の株式を保有する「片持ち合い」もある。
東京証券取引所が「資本コストや株価を意識した経営」を要請し、資産の有効活用が強く求められるようになると、経済的なメリットがはっきりしない持ち合い株式は見直し対象になった。最近では持ち合いの解消は株式市場から好意的に評価されることが多い。
今年3月27日時点で、日経平均株価を構成する225銘柄のなかで株価純資産倍率(PBR)が1倍を上回る銘柄数は147と昨年3月末の101から大幅に増えている。
デンソーは保有する豊田自動織機の株式をすべて売却
象徴的な銘柄がトヨタ自動車だ。昨年は1倍を下回る期間が続いたが、27日時点では約1.6倍にまで上昇している。円安傾向による業績の底上げもさることながら、「グループ間の持ち合い解消による資産効率の改善期待」もトヨタ人気が高まる要因だという。3月29日には有力自動車部品のデンソーがトヨタグループの中核である豊田自動織機株をすべて売却すると発表した。豊田自動織機がトヨタ自動車やデンソーなどの株式売却に動いていることを意識しての措置だ。
さかのぼること2月には、「金融庁が大手損害保険4社に政策保有株(=片持ち合い株式)の売却を加速するよう求めた」(日経)との報道を受け、東京海上日動火災保険を傘下にもつ東京海上ホールディングスが10%以上上昇し、上場来高値(株式分割考慮後)を更新する場面があった。東京海上を含む「保険株」の上昇率が8%と全体のトップだった。「片持ち合い」を含む広義の持ち合いは減少傾向が鮮明だ。
野村資本市場研究所の集計によれば、2022年度の「広義持ち合い比率」は21年度から1ポイント低下し、11.7%と過去最低になった。1990年代初頭には同比率50%を超えていたので、30年で5分の1程度になったことになる。
KDDIの株式を大量に持つ京セラのトップ選任議案に注目
企業や金融機関が持ち合いの解消を急ぐのは先述したように資産効率の向上を図る観点からだが、より直接的には株主総会対策とう面もある。多くの資産運用会社が議決権行使の基準に、持ち合いや「株式の政策保有(=持ち合い、片持ち合い)」の要素を取り入れ始めたからだ。
たとえば、アセットマネジメントOneは「純資産の20%、または総資産の50%以上」の政策保有株を持つ企業については、原則として取締役選任などの議案に反対。大和アセットマネジメントも同様に「純資産の20%以上」という数値基準を設けている。基準設定は数年前から顕著になってきたが、今までは運用会社の協議で会社が見直しの意向を表明した、あるいは、する見通しの場合は反対の議決権行使に至らなかった。昨年から、こうした例外規定をもうけず、数値基準に照らして一刀両断に賛成・反対を判断する傾向が強まってきた。今年はさらに数値基準を重視する傾向が強まるのは確実であり、それがトヨタなど日本を代表する企業グループの持ち合い解消を促しているわけだ。
昨年の株主総会では女性取締役がいないという理由で、キヤノンの御手洗冨士夫会長の取締役選任率が50%すれすれにまで落ち込んだ。この教訓からキヤノンだけでなく他の上場会社が女性取締役の選任を急ぐことになった。今年は「持ち合い株が多い」という理由で、トップの選任率が驚くほど低い会社が出ないとも限らない。株主総会の焦点は「女性」から「持ち合い」に移ったというのが、議決権行使コンサルタントなどの一致した見方である。
その点で注目されるのはKDDIの株式を大量に持つ京セラだ。KDDIの前身のひとつである第二電電の設立に関わったという歴史的な経緯はあるものの、現在では保有する意義や目的が薄れている。優良企業のイメージが強い企業だが、ROE(自己資本利益率)は4%台と低く、株主の見方は必ずしも好意的なものばかりではない。昨年の株主総会でも谷本秀夫社長の選任議案に対する賛同率が65%と21年総会から約16%下がった。このため、谷本社長は日経新聞とのインタビューで「これまで低金利の資金借り入れの担保に活用するとしていたが、縮減(売却)を含めて議論している。具体的なプラスアルファの方向性を秋ごろに公表したい」と述べている。有力機関投資家との水面下での協議も続いているもようだ。総会前に方向性だけでも出せるかどうか、要注目だ。
「株式の持ち合い」は1960年代に加速
昨今では「削減」「売却」の大合唱が続く株式の持ち合いだが、それではなぜ、いつごろから、始まったのか。
話は終戦直後のGHQ(連合国軍総司令部)による占領政策にまでさかのぼる。三菱や三井などが解体され、その企業の株式が大量に市中に放出されることになった。その受け皿として期待されたのは個人で、官民をあげた「証券民主化運動」というPRがくり広げられた。これが奏功し、1949年度の個人の持ち株比率は69%に達した。
この時の個人持ち株比率は統計上で最も高く、以後は低下し続けた。1960年代になると経済復興を遂げた日本に対して資本の自由化を求める声が強まり、企業の間には外資によるのっとりの脅威が強まった。この自衛策として企業と企業、企業と銀行が株式を持ち合う動きが加速。
さらに、バブル期を含む80年代のバブル期に入ると企業が増資や転換社債などのエクイティファイナンスに走ると、潜在的な株式の増加を市中から吸収する目的で企業が取引先やメインバンクに株式保有を依頼するようになった。その結果、1990年代初頭には持ち合い比率が50%強にも達したわけだが、言い換えれば、市場で自由に売買される浮動株は見せかけの発行済み株式の半分しかないということでもある。この逼迫した需給のもとで個人や企業が財テクに走り、株価がつり上がったのがバブル相場の一断面なのである。
「不透明な株式持ち合い」を批判した米国投資家を追い出した後にバブルが崩壊
1989年から91年にかけて、米国投資家ブーン・ピケンズ氏がトヨタの系列部品メーカー小糸製作所を株主の立場から批判した。当時は、外資による敵対的買収の始まりとも指摘され、会社と株主との攻防は社会的にも大きな関心を集めた。不透明な株式持ち合いや「ケイレツ」といった日本的な慣行がバブルの頂点で外国人から問題提起されたことも、ふり返れば実に象徴的だった。
小糸は野村証券系のアドバイザリー会社に助けられ、ピケンズ氏の批判を見事にかわしきった。この時の防衛があまりにも鮮やかだったことが、大企業の間にある種の成功体験となり、日本的経営が内向き傾向が強まった面は否めない。
小糸・ピケンズ問題に関わった法律家の草野耕一氏は著書「会社法の正義」の中で当時をふり返っている。ピケンズ氏の真の目的が「グリーン・メール(株式の買い取り)であることは客観的証拠に照らして明らかであった」としつつ、「企業社会が健全な発展を遂げるためには敵対的買収が成立する余地を残しておくことがどうしても必要だからだ」とも述べ、ピケンズ氏が体現した「市場の脅威」にも一定の理解を示している。
ピケンズを追い返した日本社会はほぼ同時にバブルが崩壊。一方で、株式持ち合いに守られた日本的経営は温存され、株価の下落が発するメッセージが真剣に受けとめられることはなかった。それ故、1990年代の10年間が「失われた」と総括されることになった。