澤上篤人「高齢者が若者の未来より自分の老後ばかり訴えるようになってしまった」…マスク1つ外せない日本の病巣
政治家は歴史に学び、長期的な視点でコロナ対応を示せ
最近、つくづく思うのだが、日本の新型コロナ対応はお話にならない。現場で苦労されている自治体などの行政や医療機関に対してではない。明確なビジョンを示すべき政治家の話だ。ここにきてようやく岸田文雄首相は、全数把握の検査運用を簡略化すると方針を示したが、そこに至るまではブレブレだ。当初は各自治体に全数把握の検査実施の判断を任せるとしたのだから。
判断を首長に委ねるとは、責任転嫁そのものだ。医療従事者の負担軽減で医療崩壊に歯止めをかける狙いだというが、その場しのぎの対応でしかなく、それは政治家の仕事ではない。政治家なら医療崩壊を防ぐ方向性を、自らの責任で、主体性を持って示すべきだ。大学病院や専門病院が赤信号なら、日本医師会に働きかけ、全国の開業医に診療協力を促すなど方法はいくらでもあるはずだ。
新型コロナは今や第7波。波を繰り返しながら、徐々に終息していくと予測しているようだが、それならそれで、政治家にはもっと明確な対策やビジョンを示してほしいものだ。どうなんだろう。一般の人々は、毎日メディアから増えたり、減ったりする感染者数や重症者・死者数を知らせられ、必要以上におびえたり、逆に鈍感になってしまっている人も多いのではないか。
約100年前のスペイン風邪パンデミックでも、ほぼ終息するのに3年かかっている。諸説あるが、パンデミックが終わったのは、結局は集団免疫の獲得ではないかとも言われている。それでもウイルスは変異を繰り返すから、根絶することはできない。だから私たちは、100年たった今でも、毎冬、インフルエンザの予防接種を打つわけだ。
こうした歴史を学べば、今回のコロナ禍でも、もっと違った対応ができたのではないか。当時よりも医学は格段に進歩しているのだから、感染者が増えたの減ったので大騒ぎして、国民をミスリードするのではなく、長期的な視点でコロナウイルスにどう対処していくべきなのかをはっきりと国民に示す。政治家たる者、事態を俯瞰(ふかん)して見つめ、多少の批判があったとしても動じないぐらいの胆力をもって臨んでほしいものだ。