人生の中心に自分を置こう!外資系金融ママ「ママ自身もわがままになることが大事」
外資系金融機関での勤務経験を持ち、現在は会員制オンラインコミュニティ「Holland Village Members’ Club」を主宰する河村真木子氏。海外経験も長く、自身も子を持つ親だからこそ伝えられる、思い込みからの脱却に効くメッセージ。全3回中の2回目。
※本稿は河村真木子著『自由にあきらめずに生きる 外資系金融ママがわが子へ伝えたい 人生とお金の本質』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)から抜粋・再構成したものです。
第1回:日本人の投資下手には理由があった!「貯金信仰」が生まれた3つの理由
第3回:グローバル時代を生き抜くための金融リテラシーとは?外資系金融ママが伝える「お金を増やすために大切なこと」とは
目次
誰にどう思われてもわがままは言ったほうがいい
「人生の中心に自分を置く」
これは私にとって普遍の価値観であり、人生哲学とも言えるものですが、女性は「誰かのために」と考える人がとても多いようです。
それが顕著にあらわれるのは極限状態のときで、内戦や災害などで飢餓状態になると、多くの母親は自分の食べる量を減らしてでも子どもに食べさせるといいます。これは生物学的な根拠もあります。
一般的に、母乳を作るには1日約500〜700kcalのエネルギーが必要といいます。そこでその期間の女性は「摂取カロリーを約450〜500kcalプラスすることが望ましい」とされているのですが、食べるモノがなくてプラスできない場合は、母体の脂肪や筋肉を母乳に変えているのです。
妊娠・授乳期、「母親の体は自分の体内エネルギーを分解してでも子に栄養を与える」。これが生き物としての母親のデフォルトなら、危機的状況なら自然に子どもに食べさせますし、普段の生活でも「子どものために」という意識が全面に出ても不思議はないでしょう。
日本の女性は特に、「誰かのために」という思いがとても強い。子どものため、親のため、家族のためというのは、家父長制度のもとの女性がそのように位置付けられた歴史的背景もあるでしょう。
さらに、昭和のオヤジ文化の名残があるのか、組織によってはいまだに、「個人を大切にする人は、わがまま」と受け止められることもあります。また、まわりの人を尊重するあまり、大切な自分自身を犠牲にすることもあります。
しかしわがままは、どんどん言ったほうがいい。しなくていい我慢をすることはありません。
なぜなら、誰にどう思われても、その人たちが人生の最後までケアしてくれるはずもないのですから。
その「誰かのため」は自分のためになっている?
「子どものために離婚しない」
誰かのために生きることを優先するあまり、そういうことを言う女性もいますが、「あなたのために我慢して、ママは離婚しなかった」と言われた子どもは喜ぶでしょうか。子どもは母親が大好きなので、母親が自分のために犠牲を払ったり、我慢したりしていることをうれしいとは思わないはずです。
第一、好きでもないのにお金や子どものために一緒にいるなんて、パートナーにも失礼ではないでしょうか?「誰かのため」というのは結局、「誰のためにもならない」という話です。
日本人には、男女を問わず「誰かのため」という、思いやりやおもてなしの文化が根付いています。それが世界のツーリストから絶賛されてもいますが、ワーカー自身が「働きすぎ」になってもいるのです。 与えられたことを120%やり遂げようとして労働時間が長くなる傾向があり、サービス業は「お客様は神様」という文化が染みついています。
その姿勢は企業や株主という資本家からすると「ありがとう!うちの会社に尽くしてくれて」となりますが、今は少子高齢化の時代です。働き手が激減していて人手が足りないのに、「誰かのため」のサービスを徹底していたら、ワーカー自身がすり減ってしまいます。
ワーカー時代の私は外資系金融企業の「日本支社」で働いてきました。世界の支店とやりとりするわけですが、長時間オフィスが稼働しているのは、決まって日本支社でした。
いわゆるエリートほどハードワークになるアメリカも、日本に次いで長時間稼働でしたが、ヨーロッパは違います。 特にフランス人は「働かない時間」を大切にしている人が多い印象でした。
つまり日本人は、「誰かのため」の延長で「仕事のため」に時間とエネルギーを捧げる傾向があると思うのです。
「仕事のため」に時間とエネルギーを捧げ続けた結果、報酬がついてくるかといえば、そうはいきません。残念ながらワーカーは資本主義のルールのもとでは「原材料」です。ある程度は報われても、頭打ちとなります。
何より、大切な自分の時間が奪われてしまい、「自分らしく生きる」という部分が削られてしまいます。
周囲の期待に応えすぎるとうつ病になることも
心理学・哲学で議論されてきた「True Self」という概念は、文字どおり「本当の自分」を意味する言葉です。人には皆、「母親、父親、社員、友人」といった社会的な役割があります。
人間はソーシャルな生き物であり、人と一緒に生きていくので、外的な役割を完全に排除するのは難しい。無人島で生きていくのでないかぎり、不可能でしょう。
それでも「社会的役割」が仮面のようにぴったり張り付いてしまうと、本当の自分が押し殺されてしまいます。
イギリスの精神科医ドナルド・ウィニコットは、こう言っています。
「親らしく、管理職らしく、部下らしくなど、社会のなかでの関係性に応じた振る舞いをするのは自然なことであり、環境に適応するために役割を演じ、礼儀正しさやマナーを守る社会的仮面も必要である」
調べてみて「えっ、私の考えって、ウィニコット先生のお墨付きなんだ」と思ったのですが、話には続きがあります。
「だが、周囲の期待に応えるための社会的仮面が、本当の自分を覆い隠すと、空虚感や生きづらさ、うつ状態につながる」
私の専門は金融であって心理学ではありませんが、この説には大いにうなずきますし、「誰かのため」に生きるよりは「自分のため」に生きたほうが「納得感があるな」と思っています。 特に仮面が張り付きがちの日本女性は、「わがままになる」くらいでちょうどいいのではないでしょうか。
親も「自分のため」にお金を使おう
わが子にお金の使い方を教えつつ、親自身もお金の使い方を見直すこともおすすめします。
なぜなら子育て中だと、習い事、将来のための教育費など、「子どものため」のお金の支出が大きなウエイトを占めます。また、住宅ローンや生活費など、「家族のために必要なお金」もかかります。
すると、そもそもの傾向として「誰かのため」という思いがとても強い日本女性の場合、必ず自分を後回しにしてしまうことになるのです。 「父親・母親が個人としてどうお金を使っているか」は、あまりにも個人差が大きいので正確なデータはありませんが、「自分のためにお金を使っているか?」というと微妙です。
さらに母親は、国を問わずに自分のためにお金を使わない傾向があります。 アメリカの社会学者アリソン・J・ピューによると、母親は「ケアのための消費(Caring Consumption:ケアリング・コンサンプション)」、つまり子どものためにお金を使いがちだそうです。
子どもがゲームやおもちゃを欲しがるのは、単純に「モノが欲しい」からではなく、「みんなが持っているゲームがないと、仲間はずれになるかもしれない」という危機感もあります。
つまり、「みんなとうまくやっていくパスポート」を求めているわけです。
さらにピューは、低所得層の母親ほど、「子どもが恥をかかないための消費」が優先されると述べています——子どもが仲間はずれにならないように心を砕く、何やらせつない話になります。
ところが中所得層以上になると選択肢が増えて、「どこまで子どもの欲しがるものを与えるかの線引き」を考え始めるので、「お金が人生の選択肢を増やす」という私の持論はこの研究に合致しています。
愛する子どものためにお金を使うのは当然だし、尊いことですが、子どもがいても家族がいても、自分の人生の中心は自分。 時にはママ自身もわがままになる——本当の自分を大切にすることが、長い目で見て、子どものためにもなります。 すでに述べたとおり、「自分のために親が犠牲になった」と知って、喜ぶ子どもはいないのですから。
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