媚中派・岸田が安倍の死を利用した「不都合な真実」…国葬を9月27日まで引き伸ばし国を混乱させた深い罪
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30年ぶりに誕生した保守本流の岸田文雄総理が目指したもの
岸田文雄総理は第二次安倍政権で4年半にわたり外務大臣を務めた。戦後の外務大臣の在任期間としては歴代3位の大平正芳を抜き、吉田茂に次ぐ歴代2位の記録を持つ。
安倍元総理はなぜ岸田を外務大臣に起用し続けたのか。岸田が「宏池会」という自民党ハト派の派閥のリーダーだから、中国をはじめとする周辺諸国に友好姿勢をアピールできると考えたからだ。
「宏池会」は吉田茂の愛弟子である池田勇人が創設した。池田の後、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一、岸田文雄と5人の総理を輩出し、保守本流として吉田の「軽武装・経済重視路線」を推進した名門派閥である。
50年前、日中国交正常化は田中角栄総理大臣と大平正芳外務大臣の手で成し遂げられた。そして正常化10周年は鈴木善幸が総理大臣として北京で講演を行い、20周年には宮澤喜一が総理大臣となって天皇皇后両陛下の中国訪問を実現させた。
岸田は宮沢以来約30年ぶりに誕生した「宏池会」の総理大臣である。従って岸田は総理に就任したとき、1年後の日中国交正常化50周年を「宏池会」の先輩に伍して成功させようと考えたに違いない。
就任早々、林芳正外務大臣起用で静かに宣戦布告
そのため第2次岸田内閣では同じ「宏池会」の林芳正を外務大臣に起用した。林は日中友好議員連盟の会長を務めたことのある自民党きっての親中派である。