「進次郎は現場を知らない」農水族のドン・森山幹事長の日本の農業を弱体化させてきた成果なき政策

農政の現場を熟知し、自民党内でも長年にわたり重責を担ってきた森山裕・自民党幹事長。その手腕は一定の評価を受ける一方で、いま新たな政治局面を迎える中、その存在が政権運営に与える影響について懸念する声も少なくない。経済誌プレジデント元編集長で作家の小倉健一氏は、森山氏の政治手法がもたらす構造的停滞のリスクについて警鐘を鳴らすーー。
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まるで西郷隆盛気取り…森山氏が見せる「減税への敵意」
「正しい改革はしなきゃいけませんが、小泉さん(小泉進次郎農水大臣)が現場の全てを知ってるわけではありません」(文春オンライン、5月28日)と牽制した自民党幹事長の森山裕について述べたい。
まず、結論から言って、森山は、石破政権の「がん」である。彼の言動や政策は、改革の名を借りた保身と自己正当化の積み重ねに過ぎず、国家全体の進路を誤らせてきた。表面上は信念を貫いているように映るが、実際には過去の慣行にしがみつき、制度疲労を加速させる要因を提供し続けてきた。
西郷隆盛を気取るかのように「国のため」「農民のため」と語る姿は、かつての西南戦争を思わせる。しかし、西郷は理想に殉じて国と民の間に立った。森山の行動はそれと真逆の軌道を描いている。鹿児島という土地の血脈を語るにしても、西郷の名を穢すような振る舞いをする政治家を同列に論じるのは西郷への侮辱に等しい。
例えば、減税へのあからさまな敵意は、単なる経済思想の違いにとどまらず、現実を見ようとしない政治姿勢の象徴である。森山は「消費税収入はすべて社会保障に充てている」と語り、減税には代替財源の明示が必要だと主張した。4月13日にはトラス政権を引き合いに出し、財源なき減税が国際的信認を損なうと断じた。5月17日には「消費税は地方交付税の原資でもある」とし、「政治生命をかけて対応する」とまで言い切った。
鹿児島県屋久島町での講演で、森山は「赤字国債で減税を行うのは許されない」と明言した。これは、インフレの抑制と購買力の保護を求める国民の切実な声を無視する姿勢そのものである。党内では、高市早苗が「日本ではトラス・ショックのような事態は起こらない」と反論し、消費税減税の必要性を主張したが、森山は首相への進言で「減税は党を割る」と説得し、事実上の拒絶を貫いた。
トラス・ショックを盾に改革を拒む森山財政論の“限界”
こうした一連の姿勢が示すのは、現実に対応しようとしない硬直性と、政治的責任の回避である。森山の一連の発言は、財政の現実を正確に捉えたものではない。「消費税はすべて社会保障に使っている」とした発言は、事実に反する。実際には消費税収が目的税化されているわけではない。国の予算は単一会計であり、消費税も一般財源として運用されている。「減税には財源が必要」とする主張も、古典的な均衡財政論の繰り返しにすぎない。歳出の見直し、経済成長による税収増といった代替手段は多くの国で実践されている。2020年のドイツや韓国は、一時的な付加価値税減税を財源の裏付けなく実行している。
「トラス政権の失敗」を引き合いに出す姿勢も適切ではない。英国における混乱の要因は、財源の説明不足、エネルギー補助金による支出拡大、中央銀行との調整不足であり、減税そのものが信認を損なったわけではない。「消費税は地方交付税の原資」とする主張も構造的に誤りである。交付税は複数の国税を財源とし、消費税率を下げたとしても補填措置は可能である。
現実に基づかないこうした発言は、庶民の負担を当然とする政治の象徴である。丁寧な説明の仮面をかぶった誤情報が、生活苦にあえぐ層の声を押しつぶしている。財源を理由に減税を封じる議論は、制度保守を装った再分配構造の固定化に他ならない。
非公認候補に2000万円。森山流「党勢拡大」は民主主義への逆行
さらに問題なのは、森山が「自民党幹事長」として果たした資金配分の役割である。2024年衆院選の直後、裏金議員とされた非公認候補の政党支部に対し、自民党本部から総額2000万円の資金が送られていた。森山は「党勢拡大のための支給」と説明したが、これは選挙公示直後というタイミングでの実質的な裏公認であり、有権者に対する説明責任を完全に欠いていた。
この資金の出所は政党交付金であり、公的資金である。候補者が裏金事件に関与していた事実は広く知られていた。にもかかわらず、森山は選挙という民主主義の根幹を損なう形で、党内の利害調整を優先し、透明性を軽視した。このような判断を下す人物が政権中枢に座っていたこと自体が、石破政権の腐敗を象徴している。
農業の弱体化を進めた森山氏の三大政策
政策の面でも、森山の旧態依然とした農政観は、国民経済の足を引っ張る要因であった。森山は自他共に認める農林族議員であり、TPP交渉に際しては関税維持に固執した。2010年には「TPP参加の即時撤回を求める会」を結成し、自由貿易に対する敵意を露わにした。
構造的に見れば、森山が主導・擁護してきた政策は以下の三点で日本農業をむしろ弱体化させている。
第一に、農協との癒着による市場構造の硬直化である。JAの共販制度や集荷義務は、農家が自ら販路を選び、価格交渉を行う自由を奪っており、森山はこれを「守るべき制度」として一貫して支援してきた。その結果、農家は価格情報から隔絶され、自立的な経営判断が困難となり、若手の定着も進まなかった。
第二に、補助金政策の温存によるモラルハザードの助長である。森山は「減反政策」のような生産抑制と補助金を組み合わせた制度を長年擁護し、「生産すれば報われる」ではなく「従えば報われる」という依存構造を守っている。これは収益性や生産性の向上につながらず、農業従事者の減少、耕作放棄地の拡大につながっている。
第三に、輸入制限と高関税の維持による消費者負担の増大である。米や乳製品などに代表される高関税品目について、森山は「国産を守る」ことを大義としたが、結果として、消費者は国際価格の2〜3倍のコストを支払い続ける状況が放置された。OECDや財務省の試算でも、関税と補助金による農産品価格維持は家計負担を通じて逆進的に国民の生活を圧迫しているとされている。
理念なき「守る政治」が農家を苦しめてきた
このように、森山裕の農政は「農家を守る」と言いながら、実際には農業の現場を市場から切り離し、構造改革の芽を潰してきた。競争の場に農家を出さず、選ばれない農業のまま「守ったふり」をし続けてきたのである。農業が競争力を持たないのは、国際市場が過酷だからではなく、森山のような政治家が「競争に出す前に守れ」という発想に固執し、構造を変えなかったからである。
農政を旧来の既得権の配分とする発想では、農業も農家も未来を持てない。森山が築いてきたのは「農民を票田化し、農協を官製流通に囲い、補助金を原資に利益を配分する」閉鎖型農政モデルである。これが今、限界に達している。改革とは、農業を競争の場に出し、選ばれる農業に変えること。
森山幹事長が政権にとどまる限り、改革は進まない
森山のような旧世代の「守るだけの政治」が続けば、守られるべき農家自身が未来を失う。政策は理念でなく実証で評価されるべきであり、森山裕の農政には、成果という裏付けが何一つない。これこそが、日本農業の停滞を象徴する最大の「がん」である。
こうした政治姿勢は、日本が直面する経済停滞の核心と重なる。変革を拒む態度、実証データや国際的動向への無理解、公的資金の私的配分、すべてが日本を沈滞させてきた。減税に背を向け、自由貿易に背を向け、民主主義の透明性にも背を向けた森山の政治手法は、石破政権の限界を集約する形で可視化されている。
参院選までの残りの任期中、森山が幹事長の座に居座り続けることによって、改革の足は止まり、構造改革の議論も閉ざされる。国のためとも、農家のためとも、ましてや消費者のためとも言い難い。その思いと行動が、現実と乖離し、誤りに満ちた政治として結実している。日本は、森山のような政治家が石破政権の中枢にいることで、前進するどころか、足踏みすらできずに停滞していくことになる。
(敬称略)