竹中平蔵「私は李平蔵ではない」デマ流布には法的措置…住民税脱税疑惑も「事実捻じ曲げられた」新浪会長の処分には「納得いかない」

サントリーHDの新浪剛史会長が辞任に追い込まれた。サプリメントの購入をめぐる警察の捜査をきっかけにしたものというはが、本人は身の潔白を訴えている。これに対して経済学者の竹中平蔵氏はサントリーの対応に「全く納得できない」と憤る。竹中氏が語るーー。
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私の本名は「李平蔵」だと嘘を流す人…「法的措置も」
私は長年、事実に基づかないゴシップや噂、デマの類を経験してきました。私がアメリカの資本と繋がっているとか、アメリカの原理主義者だ、新自由主義者だ、格差を広げた張本人だ、など。挙げ句の果てには、私が不正に200兆円もの利益を得ているという、荒唐無稽な記事までありました。私のどこに、そんな大金があるというのでしょうか。
そして、その中でも特に根深く、いまだにインターネット上で囁かれているのが「竹中平蔵は在日朝鮮人であり、本名は『李平蔵』だ」というものです。
最近も、男性が、私が和歌山の小学生だった頃、周りから「李くん、李くん」と呼ばれていた、などと証言している動画を見かけました。一体誰がそんなことを言っているのか。もちろん、まったくの事実無根です。私は和歌山県の商店街にある履物屋の息子として生まれ、両親も祖父母も日本人です。「李」などという姓で呼ばれたことは一度もありません。
こうしたデマは弁護士に相談もしていますが、ある程度名の知られた人間であれば、誰しもが一度は「在日説」を囁かれるのが、今の日本の異様なところです。特にリベラルな思想を持つ人たちの中には、この種の噂を否定しづらい風潮があるとも聞きます。「在日韓国・朝鮮人であることを否定するのは、彼らに対する差別意識があるからではないか」という内向きの批判を恐れるからです。
しかし、問題の本質はそこではありません。私が韓国人であるか、アメリカ人であるか、火星人であるかは問題ではないのです。問題なのは、私の個人情報について、明白な「嘘」が意図的に流布されているという事実、その一点に尽きます。私は、仮に誰かから「あなたはアメリカ人ですよね」と事実と異なることを断定的に言われれば、それも嫌です。アイデンティティとは、その人自身が規定するものであり、他人が勝手に決めつけるべきものではないからです。
私はバカなことを平気で言う人を相手にしたくはないのですが、あまりにひどい内容については法的措置をとることにしています。常に弁護士とも相談しています。
住民税脱税疑惑…巧妙に事実を捻じ曲げた典型的なデマ
小泉純一郎政権での大臣在任中の米国出張にまつわる馬鹿げた疑惑も数え挙げればきりがありません。例えば、ニューヨークでの公務の合間に2時間ほど予定が空いていたことを捉えて「空白の2時間」などと称し、「ユダヤの資本と密会していた」などと書き立てられたこともありました。その時私は時間が余っていたので、研究者時代に行きつけだったニューヨークのラーメン屋に秘書官と行っていました。ほかにも「国会に届け出を出さずに渡米した」という、ありもしない「無断渡航疑惑」を国会で追及されたことさえあります。私を飛行機の中で観たという謎の目撃証言があったそうですが、私はその時はニューヨークに渡航していませんでしたし、仮に出張する場合は公職として必要な手続きはすべて適切に行っていました。しかし、一度貼られたレッテルは、いくら事実で否定しても簡単には剥がれないものです。
そしてもう一つ、私が長年言われ続けてきた批判に「住民税を払っていない」というものがあります。これも、巧妙に事実を捻じ曲げた典型的なデマです。
日本では、その年の1月1日に住民票がある自治体に住民税を納税する仕組みになっています。私がアメリカの大学で教えていた時期、当然ながら生活の拠点はアメリカにありました。ですから、日本の住民税を納めていなかったのは事実です。しかし、それは私がアメリカで居住・納税義務を果たしていたからです。アメリカの地方税は主に固定資産税(プロパティタックス)という形ですが、当時ニューヨークに購入した家の税金は、日本の住民税よりも高かったくらいです。
新自由主義者とレッテルを貼られ……
二重に税金を払う人はいません。これは、海外で働く多くの駐在員も同じことです。国会議員の多くも、選挙区に住民票を置いているため、活動の拠点である東京には住民税を納めていません。それと同じ理屈なのですが、こと私に関しては「税金逃れだ」と批判される。この件については、あまりに悪質な記事が多かったため、過去に裁判を起こし、勝訴もしています。それでもなお、このデマは消えずに残り続けているのです。
政策に関する批判も後を絶ちません。私は「新自由主義者」というレッテルを貼られ、あらゆる格差問題の元凶のように言われます。しかし、普通に経済学を勉強した人間であれば、市場を開放し、自由な競争を促すべきだと考えるのは自然なことです。もちろん、それだけで社会のすべてが良くなるとは一言も言っていません。
格差を広げた張本人とも言われ……
たしかに、私は日本の規制が多すぎるとは考えています。だから規制緩和を主張してきました。しかし同時に、規制しなくてはならない部分もたくさんあるのです。私が小泉純一郎政権で金融担当大臣を務めたとき、銀行の不良債権問題を解決するために、むしろ金融機関に対する規制や検査を「強化」したのです。それなのに、一部だけを切り取って「新自由主義者」と決めつけるのは、あまりに乱暴な議論ではないでしょうか。
私が格差を広げた、という批判も同様です。格差を測る代表的な指標であるジニ係数は、私が内閣にいた期間、実はわずかに下がっていました。このことはOECDの報告書にも明記されています。非正規雇用を増やした、とも言われますが、非正規雇用は私が大臣になるずっと前、1990年代から一貫して増加傾向にありました。そもそも私は厚生労働大臣を務めていません。パソナの会長時代に利益誘導をしたという批判も受けましたが、そのような事実は一切ありません。
では、なぜこれほどまでに私は批判の対象にされるのでしょうか。
私は「当たり前」のことを言い続けてきた
一つには、私が「当たり前」のことを言い続けてきたからだと思っています。年金制度が今のままでは立ち行かなくなること、日本人の寿命が延びれば働く期間も長くなること。これらは少し考えればわかる、ごく当たり前のことです。しかし、多くの人が目を逸らしたい「不都合な真実」でもあります。
私が中学生の頃、社会を良くするにはどうすればいいのかと倫理社会の先生に尋ねたことがあります。先生は「社会を変えるのは難しい。だが、まずはその基本である経済、政治、法律を勉強することからだ」と教えてくれました。その言葉を聞いて、私は経済学の道に進むことを決意しました。その青臭い気持ちのまま、私は今も「正しいことを言わなくてはいけない」という信念のもとに発言を続けているのです。
小泉純一郎「悪名は無名に勝るからな」
世の中には、不都合な真実を隠すことで利益を得ている人たちがいます。既得権益を守りたい人たちです。また、不良債権処理のように、改革には痛みが伴うこともあります。その痛みを誰かのせいにしたい人たちもいるでしょう。あるいは、単純に「竹中平蔵」を批判する記事を書けば、原稿料という小遣いを稼げる人たちもいる。それは確率論的に仕方がないことです。
ただ、そんな人たちに遠慮して、何も言わないで人生を過ごすのは馬鹿らしい。そう思っています。
批判されるのは、もちろん気持ちの良いことではありません。しかし、かつて総理大臣だった小泉純一郎氏は、私に「悪名は無名に勝るからな」と笑いながら言ってくれました。
私は、人に褒められたいために生きているわけではありません。この国を少しでも良くするために生きている。自分の短い人生において、他人にどう思われるかなんて、本質的には重要ではないのです。自分がやるべきだと信じることをやって生きる方が、よほど楽しいはずです。
このままいけば、2030年代に日本は大変な事態に直面します。生産年齢人口は10年間で1000万人も減り、高齢者は人口の3分の1を占めるようになります。そして社会帆保険料は膨張し続けています。今、この国には抜本的な改革が必要です。それなのに「インフレで生活が苦しいからみんなに給付します。もしくは減税します」といった、その場しのぎの政策ばかりを続けていて、本当に良いのでしょうか。
新浪会長の辞任…当たり前の議論が封じ込められる社会
私が大臣を辞めてから10年以上が経ちますが、いまだに「元大臣」として様々な批判を受けます。皆さんは、私以外の経済財政政策担当大臣経験者の名前を、何人挙げられるでしょうか。いずれにせよ、批判であっても、こうして私の名前を覚えていてくださるのは、ある意味でありがたいことなのかもしれません。
だからこそ、私はこれからも“当たり前”のことであっても、この国のために必要だと信じることを、言い続けていくつもりです。
さてそんな中、サントリーHDの新浪剛史会長が辞任に追い込まれる事態になりました。新浪さんの周辺で何が起こったのか、私は全く知る立場にはありません。ただし疑惑があるというだけで会社が辞任を求めたことには、全く納得がいきません。疑わしきは罰せずーー。これは刑事訴訟法336条にも明記されていることです。今の時代、疑惑などは簡単に生じさせることができます。当たり前の議論が封じ込められるような社会であってはなりません。