またバラマキですか…大企業だけ恩恵!自民党議員「社員ランチ代補助」に国民激怒で大炎上 「議員の批判的思考の不足を露呈」

歴史的な円安と輸入コストの高騰が主な要因で、ここ数年の日本の物価は上昇している。特に、食料品やエネルギー価格が大幅に上昇し、家計を圧迫しまくっている。2025年7月の消費者物価指数(生鮮食品を除く)は前年同月比3.1%上昇と高水準が続いており、賃上げが物価上昇に追いつかず、実質賃金は減少傾向にもある。これは国民生活に大きな影響を与えている。そんな中で、自民党の自見はなこ議員がXに投稿した発言が話題を呼んでいる。「社員のランチ代補助、物価上昇に合わせて上げて欲しいと私も古川康先生などと一緒に役所の調整をしていました」。この投稿には「一部の大企業や福利厚生が整ったところしか関係ない」「それより一律減税を」と批判が殺到した。NHK党浜田聡氏の元公設秘書として政府のお金の使い方を厳しく追及してきた、ライターの村上ゆかり氏は「ランチ代補助制度は、これまで度々政府が行って批判を受けてきた『バラマキ」』と同じである」と厳しく指摘する。一体何が起こっているのか。村上氏が改めて詳しく解説していくーー。
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大炎上の自民党・自見議員の「ランチ代補助」投稿
2025年9月7日、自見はなこ参議員がXに投稿した内容が炎上した。
「社員のランチ代補助、物価上昇に合わせて上げて欲しいと私も古川康先生などと一緒に役所の調整をしていました。党内新しい資本主義実行本部でも後押しいただき、今回経産省が所轄省庁になり税制改正要望を出したのは画期的!年末まで頑張りましょう。因みに医療機関でもこの税制は使えます!みんなで頑張りましょう!」
この投稿は9月11日時点で465万インプレッションを超えていた。全国紙の発行部数をはるかに上回る規模であり、ここまで伸びた要因は批判コメントが殺到したためである。自見議員は「ランチ代補助」を自身の成果として投稿したにも関わらず、なぜここまで炎上したのか。
自見議員が「ランチ代補助」と称した制度は、会社が従業員に食事を現物で提供した場合、一定額までは所得税を課さない(非課税とする)制度のことを指している。国税庁ホームページには「従業員がその食事の価額の半分以上を負担すること」「会社の負担額が1か月当たり3,500円以下であること」を非課税の条件とする、とし、現金手当は認められず、現物給付のみを対象とする、と説明されている。
制度がない会社は恩恵ゼロ。不公平だ
この制度の非課税枠は1984年以来一度も改正されていない。経済産業省は令和8年度税制改正要望(2025年 財務省公表)で「非課税限度額は1984年以降40年以上据え置かれており物価上昇を踏まえて見直す必要がある」と説明し、非課税限度額の引き上げを行う、という要望を出している。
自見議員が自身の成果として掲げたのは、この非課税限度額の引き上げという制度改正を政治的成果として示すものであった。しかし国民の反応は制度改正の是非ではなく、制度そのものに疑問を投げかけるものが大半となった。
X上では「ランチ代補助の非課税なんて一部の大企業や福利厚生が整ったところしか関係ない。そんなことより一律で減税すればいい」「現物支給とか半額負担とか条件をつけるから分かりにくいし、結局知らない人や制度がない会社は恩恵ゼロ。不公平だ」「税制を複雑にして利権を作るだけ。誰も得しないし事務負担だけ増える。基礎控除を上げる方が公平」という意見が拡散した。批判の方向は明確に「制度そのもの」へと向けられた。
この「ランチ代補助」制度が複雑であることは、概要の資料を一見しただけでも明らかである。国税庁が定める要件は二段階の判定を必要とし、直感的に理解できるものではなく、現に国税庁ホームページにも「食事を支給したときの非課税限度額の判定」として、事例を挙げて説明しているほどである。
利用者に理解を強いる不親切な制度設計
例えば、社員食堂で1食600円の食事を提供し従業員が300円、会社が300円を負担する場合、20日勤務で会社負担は6,000円となる。このうち3,500円までが非課税であり、2,500円は課税対象である。従業員の可処分所得の増加は個々の所得税率や住民税率により異なり、一定の計算をしなければ具体額を理解できない。別のケースで1食500円、自己負担260円、会社負担240円を20日とすれば会社負担は4,800円であり、このうち1,300円が課税対象となる。こうした計算を通じて初めて恩恵の規模が判明する仕組みは、利用者に理解を強いる不親切な制度設計である。
「ランチ代補助」制度の恩恵は大企業に偏在している。経済産業省要望書(2025年)は「中小企業を含め取組が見られる」と記すが、この表現は裏を返せば中小企業にとって一般的ではなく大企業中心であることを意味する。
大企業の社員だけが恩恵を受けやすい
労働政策研究・研修機構『企業における福利厚生施策の実態に関する調査』(2020年)は社員食堂や社内レクリエーション施設の導入率が企業規模の大きさに比例して高いと報告している。OECD『Tax Expenditures in OECD Countries』(2010年 OECD Publishing)では、「税制優遇は利用可能な者に偏在し水平的公平を損なう」と記述している。大企業の社員だけが恩恵を受けやすい設計は明らかに制度の公平性を欠いている。
人的コストの問題については主に二つの論点がある。第一に、制度に係る作業コストである。バウチャーの発行、利用精算、食数管理、課税判定には必ず相応の人手と時間が必要となる。周知や監査、誤り訂正まで含めると人的コストがさらに膨らむ。第二に未利用等の発生である。制度の存在を知らず利用できない者、条件を誤解したため対象から外れてしまう者、制度を導入していない企業に勤めているため恩恵を受けられない者が生まれる可能性は極めて高い。
制度が複雑で、恩恵が大企業に偏り、人的コストと未利用者を生む。これらの問題は租税三原則に反しているためではないか。財務省ウェブ「税の三原則」(2019年更新)および財務省パンフレット『税のこと』(2023年)は「公平・中立・簡素」を基本とすると明記されている。「ランチ代補助」制度は現金給与より現物給付を優遇しており中立性を欠く。大企業の制度導入が進む一方で中小や非正規には届かないことから公平性も欠く。複雑な判定と試算が必要なため簡素性も一切見当たらない。
つまり「ランチ代補助」制度はバラマキ
「ランチ代補助」制度のような、税金を安くするという「税優遇」は、国がお金を配る「補助金」と同じ意味を持つ。世界銀行『Tax Expenditures: The Manual』(2024年)は「税の利益は予算の支出と同じだ」と書いている。つまり税金を安くすることは形を変えた補助金である。だから「バラマキではないか」という批判を受けて当然である。つまり「ランチ代補助」制度は、これまで度々政府が行って批判を受けてきた「バラマキ」と同じである。だからこそ、自見議員のポストは大きく炎上する結果となったのだ。
批判の中には「一律の所得税減税や基礎控除引上げを行えばよい」という声が散見される。「一律の所得税減税や基礎控除引上げ」は普遍的に全納税者に自動的に適用され、一度税率を切り替えてしまえばその後の申請や手続は一切不要であり、未利用者が発生することもない。
「ランチ代補助」制度そのものに何ら疑問も持たない議員
財務省が掲げる租税三原則の「簡素」の理念にも十分適っている。OECD『Choosing a Broad Base – Low Rate Approach to Taxation』(2010年 OECD Publishing)は税基盤を広く保ち低税率を維持する設計が効率的で成長に資することを明記している。この対案は極めて合理的なものではないか。
465万を超える炎上ポストのあと、自見議員は9月11日「ランチ代補助」制度に関するブログ記事を公開したが、内容は制度の意義や概要の説明、経緯を述べるのみで前述した批判内容に答える内容ではなかった。果たして自見議員はこの「ランチ代補助」制度を本気で「良いもの」と信じて推し進めているのだろうか。自らのポストに対する批判コメントを読んでいないのだろうか。読んでも、何も感じなかったのだろうか。
国会議員が「ランチ代補助」制度そのものに何ら疑問も持たず、むしろ非課税枠の引き上げという制度の改正を成果と称しポストしたことに、筆者は改めて危機感を抱いている。本来、国会議員は「制度を動かした」という成果だけでなく、その制度が持つ根本的な妥当性を吟味する役割を担っているはずだ。税制は国民の負担を決める仕組みであり、制度の存在意義そのものを疑わずに非課税枠の引き上げを成果と称する態度は、議員としての役割を矮小化していると言わざるを得ない。
国会議員として必要な批判的思考の不足を露呈
ランチ代補助の非課税制度は、複雑で、恩恵が偏り、人的コストを生み、租税三原則に反しているとの批判が存在する。しかも制度そのものが「実質補助金=バラマキ」に近いという根本的な問題を抱えている。にもかかわらず、そのような制度を「成果」として拡散したことは、制度設計の背景や税制の理念に対する感度が低すぎるのではないか。自見議員のポストは、国民に「これが正しい政策だ」と刷り込み、裏側に潜む不公平や無駄を示さずに「画期的」と語っているが、このポストは国会議員として必要な批判的思考の不足を露呈しており、国民の政治不信を深めてしまったのではないか。
国民は政治家が「成果」と訴えたその内容だけを見るのではなく、制度そのものの在り方にも目を向けて注視していかなければならない。今回の炎上ポストには、国会議員の発言だからと言ってそれを鵜吞みにせず、制度の是非を国民一人一人が疑い考えていく姿勢を忘れてはならないという教訓とも捉えることができるだろう。