「玉木る」とまでいわれ…評判ガタ落ち国民民主と維新の高笑い!化けの皮がはがれる「口先だけの改革派」

自維連立政権が誕生した。石破茂総理の辞任表明から始まったこの騒動、高市早苗総裁選出後も公明党の連立離脱により総理にはなれない可能性があったが、最終的には高市氏の執念が勝った。しかしこの一連の流れのなかでもっと評判を落としたのは国民民主党の玉木雄一郎代表であろう。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が解説するーー。
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「玉木る」というネットスラングの誕生
永田町を揺るがした政局の嵐が、一つの結末を迎えた。高市早苗首相の誕生と、それに続く日本維新の会との閣外協力という形で、新たな政権の枠組みが固まったのである。この権力闘争の渦中で、一人の男の評判が、まるでジェットコースターのように急降下した。国民民主党代表、玉木雄一郎氏である。
数日前まで、玉木代表は政局のキャスティングボートを握るキーパーソンとして、メディアの寵児であった。自民党からのラブコールを受け、立憲民主党からは野党結集の軸として期待される。その一挙手一投足が、日本の次の総理大臣を決めるかのように報じられた。しかし、結果はどうだ。電光石火の自民・維新合意のニュースが流れた時、玉木代表は完全に「蚊帳の外」にいた。テレビカメラの前で「自民党とやるんだったら最初から言ってよ」「二枚舌みたいな感じで扱われて残念」と不満を漏らす姿は、勝者のそれとは程遠い。SNS上では、彼の優柔不断さを揶揄する「玉木る」という不名誉なネットスラングまで生まれる始末である。かつて「次の総理候補」とまで持ち上げられた男の権威は、かくも無残に地に墜ちた。
だが、この一連の騒動で失われたのは、玉木代表個人の評判だけではない。もっと重大で、日本経済にとって計り知れない損失となる可能性を秘めた「何か」が、政局の駆け引きの犠牲になった。それは、国民民主党が掲げてきた経済政策である。
国民民主党の政策には、特筆すべき輝きがあった。特に、国民の生活に直結する減税策は、他のどの政党よりも具体的で、地に足が着いていた。例えば、ガソリン価格の高騰に苦しむ人々を救うための「トリガー条項」の凍結解除、すなわちガソリン税の減税。あるいは、パートタイマーの女性たちが就労調整を余儀なくされる「年収の壁」問題への具体的な解決策。これらは、人気取りのバラマキ(異次元の少子化対策、教育費の全額税負担化、現金給付)とは一線を画す。
国民民主の人気は玉木氏の手腕ではなく政策由来
国民民主党の減税策が優れているのは、経済合理性と弱者への配慮が絶妙なバランスで両立している点にある。減税という手法は、消費や投資を刺激し、経済全体を活性化させる効果が期待できる、極めて経済合理性の高い政策だ。
国民民主党の減税政策は、働く人々、とりわけ所得の低い層に焦点を当てていた。ガソリン税の減税は、地方で車が生活必需品となっている人々や、運送業に従事する中小事業者の負担を直接的に軽減する。年収の壁の撤廃は、働きたくても働けない女性たちの潜在的な労働力を解き放ち、世帯収入の増加と人手不足の解消に繋がる。
まさに、経済成長と格差是正を同時に実現しうる、練り上げられた政策パッケージであった。もし、これらの政策が高市新政権の経済政策の柱として採用されていたならば、日本経済が停滞から抜け出す大きなきっかけになったことは想像に難くない。多くの国民が、玉木代表の動向に期待を寄せたのは、彼の政治手腕以上に、彼が掲げる政策の正しさへの共感があったからに他ならない。しかし、その希望は、無慈悲に打ち砕かれた。そして、その破壊者の名は、日本維新の会である。
今回の政局で、日本維新の会が見せた立ち回りは、政治的不信を増幅させる最悪の見本であった。当初、維新は自民党の派閥裏金問題を受けて、「政治とカネ」の問題を改革の最重要課題に掲げていたはずだ。企業・団体献金の禁止を自民党に突きつけ、改革政党としての矜持を示そうとしていた。しかし、自民党がその要求に難色を示すと、彼らはあっさりとその旗を降ろした。
「二枚舌」と憤慨するのも無理はない維新の裏切り行為
代わりに維新が持ち出したのが、国会議員の定数削減である。国民には耳障りの良い言葉だが、その本質は何か。それは、国民生活に直接的な恩恵をもたらす経済政策を人質にとり、自らの政治的メンツを保つための取引に過ぎない。
玉木代表が「二枚舌」と憤慨したのも無理はない。ついさっきまで野党結集のテーブルで共に語らっていた相手が、その一時間後には敵陣に駆け込み、甘い蜜を吸っていたのだから。この行動は、単なる政治的駆け引きの巧みさなどではない。政治家として最も重要な「信義」を欠いた、裏切り行為である。
減税という果実を党利党略のため踏みつぶした維新
維新は、国民民主党が掲げた国民のための減税という果実を、自らの党利党略のために踏み潰した。高笑いが聞こえてくるようだ。彼らの手によって、国民生活を豊かにするはずだった貴重な機会は、またしても失われた。維新という政党は、改革の旗を掲げながら、その実、国民生活の向上を阻む最大の抵抗勢力と成り下がったのである。その罪は、万死に値する。
では、これから日本政治はどうなるのか。高市首相は、安全保障政策においては、かねてからの主張通り、自身の保守色を前面に押し出してくるだろう。問題は、経済政策である。彼女は、尊敬するサッチャーのように、信念に基づいた改革を断行するだろうか。否、その可能性は極めて低い。