どう考えても無理ある…72歳早大名誉教授「経済大国を作ったのはわれわれ」は本当なのか、経済誌元編集長検証 発言後の言い分も「苦しい」

誰が経済大国日本を作った。われわれだ。われわれの努力がなかったら日本はアジアの最貧国だーー。
72歳早大名誉教授のSNS投稿が物議を醸した。この投稿には「『高度経済成長期』って『1950年代半ば〜1970年代初頭』ですよね」「思い上がりも甚だしいわ」「ここまで傲慢なポスト初めて見た」といった批判が殺到した。今の70代が経済大国を作ったのだろうか。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏は「むしろ経済を悪化させた世代」と語る。小倉氏が解説していくーー。
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どう考えても時系列に無理がある
宮城県知事選挙の結果が出た直後から、X、すなわち旧Twitter上で、世代間の投票行動をめぐる投稿が急激に増え始めた。あるユーザーが、高齢者は水道民営化に賛成し、若者こそが国を守ろうとしている、といった趣旨の強い言葉を投げかけたことがきっかけだった。この投稿に多くの人々が反応する中、早稲田大学名誉教授の有馬哲夫氏がこれを引用し、反論した。
「ふざけるな。戦後の焼け野原からだれが復興させた。誰が経済大国日本を作った。われわれだ。われわれの努力がなかったら日本はアジアの最貧国だ。Xのポストする暇あったら勉強しろ、働け。」
短く、断定的で、強い口調のこの言葉は一気に拡散し、社会を巻き込む賛否両論の渦を生んだ。批判の多くは二つの点に集約された。一つは、戦後復興を担った中心的な世代と、1953年生まれである有馬氏の世代には明確な年代のずれがあるという事実の指摘。もう一つは、「勉強しろ、働け」という命令口調が、若い世代には一方的な叱責として響き、強い反発を招いたことである。この出来事は、単なるSNS上の口論にとどまらず、日本社会が長年目を背けてきた、世代間の責任の所在という根深い問題を白日の下に晒すこととなった。
そもそも、「戦後をつくったのは誰か」という問い自体が、丁寧な整理を必要とする。まず、歴史の順番を正確に確認せねばならない。日本が焦土と化したのは1945年。そこからの復興を実際に主導したのは、戦争を経験した四十代や五十代の政治家、役人、技術者たちであった。彼らが学校制度を整え、税と通貨を安定させ、産業の骨格を再建した。有馬氏が学生であった1970年前後には、日本はすでに世界が認める経済大国へと変貌を遂げていた。したがって、彼の世代が「焼け野原から」国を立て直したと表現するには、時系列に無理がある。
70年代以降、日本は復興期ではなく、豊かな「成熟社会」
また、戦後の奇跡的な経済成長は、個人の努力や精神論だけで成し遂げられたものではない。1955年から1973年まで続いた高度経済成長期、日本経済は年に10%近い驚異的な伸びを見せたが、その背景には制度と時代の追い風という二つの強力なエンジンが存在した。
政府が国民の貯蓄を工場や社会基盤の建設に効率よく回す仕組みをつくり、企業は欧米から新しい技術を貪欲に導入した。さらに、アメリカが冷戦構造の中で日本を西側陣営の重要な拠点と位置づけ、国際社会への復帰を後押ししたことや、朝鮮戦争の勃発によって日本企業に大量の注文が舞い込んだ「特需」が景気を力強く押し上げたことなど、幸運な外的要因も重なった。
こうした制度設計と時代の助けという土台を無視して、すべてを自分たちの「がんばり」の成果として語ることは、歴史の複雑さを見誤らせる。有馬氏の世代が社会の中核を担った1970年代以降の日本は、もはや復興期ではなく、豊かな「成熟社会」の段階にあった。