【実録・経済インサイド】 私が通いつめた「勝どきの絶品・激安居酒屋」の正体は「盗品の魚のエサ」だった件 ──年間5335トンの「宝の山」が1kg7円で消える豊洲の構造的パラドックス

豊洲市場で魚のあらを盗んだとして、中国籍の飲食業の女(66)を窃盗と建造物侵入の疑いで逮捕された。女は「マグロのカマや骨は調理すればまだ食べられるのにもったいない、と思って持ち出した」と容疑を認め「かま焼きにして居酒屋のお客さんに提供したり、つみれにして自分や従業員がまかないで食べたりしていた」と話しているという。女性が経営していた居酒屋の名前は「楽笑」。この店で食事をしていた経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏「日本の食料流通システムが抱える巨大な歪みと、経済合理性の名の下に捨てられる「価値」のパラドックスが潜んでいる」と指摘する。小倉氏が解説していく――。
目次
「店主の心意気」や「独自の仕入れルート」だと信じて疑わなかった
今、私は猛烈に打ちひしがれている。このやるせない怒りと、行き場のない衝撃をどこにぶつければいいのか分からない。
事の発端は、11月28日に報じられた一本のニュース記事だった。『豊洲市場で魚のあら30キロ窃盗容疑、居酒屋の女逮捕』。記事を読み進めると、場所は中央区勝どき2丁目、店名は「楽笑」。容疑者は66歳の女主人。 ……間違いない。あの店だ。私が足繁く通い、知人にも「あそこは安くて美味い」と紹介しまくっていた、あの「隠れた名店」だったのだ。
出会いは数年前、築地にある大手新聞社の記者(今ではずいぶん出世されたようだ…)からのタレコミだった。「勝どきにとんでもなく安くて美味い店がある。店はボロいが味は本物だ」。 『孤独のグルメ』をこよなく愛する、その新聞記者がそこまで言うならと訪れたその店は、確かにボロボロの内装…しかし、出てきた料理は衝撃的だった。皿から溢れんばかりの中トロが1000円そこそこ。そして名物の「カマ焼き」。脂が乗り、香ばしく焼かれたそのカマは、酒のアテとして最強だった。
あまりの感動に、後日、私は原宿にある有名経済メディアの編集者も連れて行った。フランス料理をこよなく愛する彼もまた「この値段でこのクオリティはありえない! すごい企業努力ですね!」と絶賛した。我々は「安くて美味いには理由がある」という言葉を、「店主の心意気」や「独自の仕入れルート」だと信じて疑わなかった。 確かに「独自のルート」ではあった。あまりにも独自すぎる、法を犯したルートだったわけだが……。
報道された女主人の「供述」が、私の良き思い出を粉々にぶっ壊した。
キロ単価、たったの7円の「飼料原料」
「マグロのカマや骨は調理すればまだ食べられるのにもったいない」。 我々が食べていたのは、市場のセキュリティを突破した「盗品」であり、さらに言えば養殖魚のえさになるはずの「廃棄物」だった。 この事件は、単なる「セコい窃盗事件」ではない。ここには、日本の食料流通システムが抱える巨大な歪みと、経済合理性の名の下に捨てられる「価値」のパラドックスが潜んでいる。
本件の最大の衝撃は、盗まれた物の「価格」にある。 警視庁の発表によれば、盗まれた魚のあら約30キロの時価は、わずか「210円」である。 単純計算してほしい。210円÷30kg=7円。 キロ単価、たったの7円である。
我々が居酒屋で「絶品だ、最高だ」と舌鼓を打っていたマグロのカマや中落ちが、市場の評価額としては、うまい棒1本の値段にも満たないのだ。水よりも安い。これが豊洲のリアリズムである。 なぜこれほど安いのか。それはこれらが食品ではなく、「産業廃棄物」あるいは「飼料原料」として扱われているからだ。
フリカゾウ約900頭分に相当する量のマグロの頭やカマ、中落ちがゴミに
東京都中央卸売市場が公表している「市場別廃棄物発生割合(令和6年度)」のデータを見ると、その巨大な全体像が浮かび上がる。豊洲市場から排出される廃棄物の総量は年間1万8440トンに及び、都内全11市場の廃棄物の53.6%を占める巨大な排出源となっている 。 その内訳を見ると、今回女主人が盗んだとされる「魚腸骨(魚のアラや骨)」は、豊洲市場だけで年間5,335トンも発生している 。 5,335トン。想像できるだろうか。アフリカゾウ約900頭分に相当する量のマグロの頭やカマ、中落ちが、毎年「ゴミ」として処理されているのだ。
これらの「魚腸骨」は、以前であれば場内の業者が加工して食用に回すルートも活発だった。しかし、現代の高度に効率化された流通システムにおいて、加工に手間のその都度形状が異なる「アラ」は、規格外品として排除される。 結果、これらは専門の回収業者によって引き取られ、粉砕され、フィッシュミール(魚粉)や魚油へと加工される。そして皮肉なことに、それは再び養殖魚のエサとなり、我々の口に入る養殖ハマチやタイの肉となる。
「カマ焼き」として人間が直接食べれば1皿600円の価値を生むものが、粉砕してエサにするルートに乗った瞬間、1キロ7円の価値に暴落する。
「価値のギャップ」こそが、今回の事件を生んだ温床
この凄まじい「価値のギャップ」こそが、今回の事件を生んだ温床である。
実は、さまざま市場周辺において、このような「持ち去り」は公然の秘密、あるいは「必要悪」として黙認されてきた歴史的背景があるようだ。 築地市場の時代には、仲卸業者が余ったアラや骨を軒先に置き、近隣住民や飲食店主が自由に持ち帰る「もったいない精神」に基づく慣習が一部で存在したという。 しかし、豊洲への移転とともに、衛生管理とセキュリティは厳格化された。市場は「閉鎖型」の要塞となり、部外者の立ち入りは厳しく制限されている。
真意は不明だが、今回の事件を受け市場関係者と思われる人物がX(旧Twitter)に投稿した内容が、その実態を生々しく伝えている。
「実はいつも23時頃豊洲市場内でよく見かけておりました。まさか泥棒しているとは思ってもいませんでした。ゴミ捨てに来ていると思っておりました」
仲卸業者にとっても、アラは「処理費用がかかるゴミ」であり、誰かが持って行ってくれるなら、それはそれで「処分の手間が省ける」という暗黙の利害一致が存在した可能性がある。
「すごい企業努力だ」と感心したあの夜。 それはあながち間違いではなかった
報道によれば、女主人は21日、22日と連日で犯行に及んでいる。そして通報されたのは26日だ。それまでの間、彼女は「夜回りおばさん」として、1キロ7円の廃棄物を、1皿600円の料理に変える錬金術を続けていた。
彼女の行為は法的には間違いなく「窃盗」であり「建造物侵入」だ。擁護の余地はない。 しかし、経済的な視点で見れば、彼女は市場の「非効率」を突いたアービトラージ(裁定取引)を行っていたとも言える。 市場が「価値なし(1キロ7円)」と判断した資源に対し、労働力(深夜の自転車移動と調理の手間)を投入することで、「価値あり(客単価数千円)」の財へと昇華させていたのだ。 これを「泥棒」と断じるのは法的に正しい。
だが、年間5,335トンもの可食部を含む資源 が、人間の口に入らずにエサ用として処理される現状を「正常」と呼んでいいのかについては、議論の余地があるだろう。経済メディアの人間と「すごい企業努力だ」と感心したあの夜。 それはあながち間違いではなかった。
コンプライアンスを完全に無視した形での「企業努力」
仕入れ原価を極限まで(というかゼロに)下げるという、コンプライアンスを完全に無視した形での「企業努力」だったのだ。 損益分岐点も何もあったものではない。売上のすべてが粗利に近い。究極の高収益モデルである。私は自由を愛しているが、さすがに「自由すぎる」と呆れざるを得ない。
東京都の担当者は「大変遺憾だ。警備や巡回を強化したい」とコメントしている。
当然の反応だ。しかし、警備を強化すればするほど、市場のセキュリティコストは上がり、その分は魚の価格に転嫁される。そして、行き場を失った5,335トンのアラたちは、より確実に、より厳格に、ただの「エサ」として処理されていくことになる。 衛生管理が行き届いたクリーンな豊洲市場。そこには、かつて築地の路地裏にあったような、怪しくも魅力的な「混沌」や、安くて美味い「掘り出し物」が入り込む隙間はもう残されていない。
今回の事件は、コンプライアンスと衛生管理が徹底された現代社会において、「安くて美味いもの」がいかに成立し得ないか、あるいは成立するためには「犯罪」が必要になってしまうかという、悲しい現実を突きつけている。