森保監督「僕が成果を残せないともう日本人監督は出にくくなる」…川淵C「ハリルが日本サッカーをつまらなくした」

日本中を熱狂させた昨秋のサッカーW杯、日本代表の活躍。30年目を迎えたJリーグもいよいよ開幕し、その光景が脳裏に蘇った人も少なくないだろう。そもそもこうした光景が実現したのは、30年前に始動した「Jリーグ百年構想」と、初代Jリーグチェアマン・川淵三郎氏の実行力があってこそ。長く窮屈なコロナの時代を脱して、本格的なスポーツシーズンが幕を開ける今、改めて川淵氏に、現在のサッカー日本代表、Jリーグ設立に懸けた想い、そしてスポーツの社会的な役割まで、3回連載で大いに語ってもらう。まず第1次森保ジャパンの快進撃についてだ。
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ドイツ、スペインに1度勝ったくらいで「追いつけた」とは言えない
──サッカーワールドカップ(W杯)から3カ月経ちました。Jリーグ “生みの親”、川淵三郎・元日本サッカー協会会長に改めて、あの大会の日本代表の活躍を振り返っていただきたいと思います。
(川淵三郎氏) 昨年のW杯では、ヨーロッパで「外国人選手」として揉まれてきた日本人選手たちが、普段からやってきた通りのサッカーをして、それが成果を挙げたということだと思います。僕が感心するのは、以前の日本人選手と違って、彼らは世界と戦ってもまったく物おじしない、ということです。
もちろん、一度勝ったぐらいで、ドイツやスペインといったサッカー文化が社会に浸透している国に追いついたかというと、そんなことはなくて、彼ら国民がサッカーに対して持っている愛情や歴史としての重みといった部分では、まだまだ差があります。だけど、そうしたサッカー文化が根付いていて、優勝経験もあり、優勝候補でもある2つのサッカー国をW杯の大舞台で破ったというのは、日本のサッカー界、いや世界のサッカー界にとっても画期的なことだった。大会後に、森保一監督は「ベスト8に残れなかったから、新しい景色を見ることができなかった」なんて言っていましたが、とんでもない。僕たちからすれば新しい景色は十分に見せてもらったと思っています。
ともかく、彼らのおかげで、W杯でこれまで日本代表が見たことがない「新しい景色」を見せてもらった。そして日本中が沸き上がってくれた。こんなに嬉しいことはなかったです。特にコロナだ、戦争だと、この何年間か、日本全体が落ち込んでいる中で、あれだけ国民が一つになって喜びを爆発させる風景を見ていると、「やっぱりスポーツの持つ力は大きいんだな」ということを改めて実感させてくれました。
──始まる前はそれほど大きな期待が寄せられていたわけではなく、大会への関心も高いとは言えなかったですよね。