「羽生結弦ばかり褒めている」という妄言…「羽生結弦という存在」を愛したディック・バトン、その発露『Echoes of Life』そして「バラ1」

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『Echoes of Life』の根底に流れる、羽生結弦という存在の発露
「ピアノコレクション」のあとに「Ballade No.1, Op.23」。
社会に対するメッセージとしての『Echoes of Life』の根底に流れる、羽生結弦という存在の発露こそこの「Ballade No.1, Op.23」(以下、バラ1)でした。
羽生結弦は「運命の音」と呼んでいました。
先に、私はツアー初日となる『Echoes of Life』の埼玉公演でこう書きました。
〈ほら
あれがコンパルソリーだよ
基礎って美しいんだよ
あれがフィギュアスケートだよ〉
バラ1に限った話ではないのですがトランジションこそ「基礎」の美しさがもっとも出るように思います。
何度も書いてきた「エッジ」の話に通じるのですが、いまさら語るでなく、羽生結弦を支えているのは史上最高のエッジであり、その基礎がこれも史上最高の厚みのある(本当に分厚い)トランジションにあると思います。
ピアノコレクションはまさにそれです。
あれほどに息もつかせない、観客すべてを五線譜の波に巻き込むピアノコレクションのあとにバラ1――前半の4Sに後半の3A、4T3T、それまでも『Mass Destruction -Reload-』(以下、マスデス)という激しい演目のあとにこれ。バラ1による数々の栄光もいまさら語る出ない話ですが、まさに『Echoes of Life』の根底に流れる、羽生結弦という存在の発露でした。
「基礎」の美しさ=「羽生結弦の美しさ」
「正しいジャンプ」もそうですが「厚みのあるトランジション」も羽生結弦です。残念ながら競技会によっては(ジャッジやその時々のレギュレーション、それこそ「空気」も含めて)正しくないジャンプや薄っぺらいトランジションで勝ててしまうことはあるでしょう。
誤魔化しとまでは言いませんが、勝てばいいなら誤魔化せる現実があります。
でもそれがフィギュアスケートなのかと言えば、それこそ優れた先人たちは首を振るでしょう。