「最高の劇場を魅せてくれた。金メダルを超えた、ダイヤモンドの演技だ」ありがとう、ディック・バトン…『Echoes of Life』千葉公演、千秋楽

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羽生結弦と「わたし」の「真剣」
羽生結弦が「1位のみが正義なわけであって、2位以下は悪と言っても過言ではない」と投げかけた(決してこれそのままの意味ではなく、もっと深い提言を込めたもの)通り、スポーツとは残酷な優勝劣敗、勝ち負けの世界ですが、だからこそ高度な「真剣」でもあるのです。
これが羽生結弦の「命がけ」にもまた通じるわけですが、ディック・バトンの言う「劇場」もまた「それ」なのです。
アイスストーリーというか、羽生結弦という存在そのものが「それ」でもあるのですが、『Echoes of Life』のバラ1、とくに千秋楽のバラ1はその象徴のように思います。
命がけの美しさ、まさに羽生結弦と「わたし」の「真剣」に他なりません。
〈競技はより高度に真剣なものである。なぜなら、そこでは自然は精神と一つになっている〉
〈人間は身体性のこの鍛錬において、人間は身体を精神の器官に作り変えたという、自由を示す〉
〈人間はここで、その身体性を自由な美しい運動と力強い巧みさにおいて芸術作品に作り上げた〉
※ヘーゲル『精神現象学』長谷川宏訳,作品社,1998年.
これらヘーゲルの言葉、まさにバトンが求めたもの、羽生結弦の求めているものがあるように思います。
それを伝える役割は私たち
ここでアイスストーリー全体に話を戻しましょう。
私は個人的に『Echoes of Life』を以て「羽生結弦『アイスストーリー』初期三部作」としています。これからもアイスストーリーは続くと信じていますから「初期」とつけています。それこそヴァーツラフ・ニジンスキーの『牧神の午後』『遊戯』『春の祭典』ですね。
ニジンスキーの現役はとても短いものだったので「三部作」ですが、羽生結弦の場合は当たり前の話ですがこれからもずっと活躍は続くので「初期」となります。機動戦士ガンダムなら『砂の十字架』『哀・戦士』『めぐりあい宇宙』でしょうか。
ジャンルの違いはありますが、世界中に愛されて2024年で45周年。ガンダムがこの国の代表的なコンテンツどころか世界のサブカルチャーを代表するシリーズになったのと同様に、アイスストーリーもまた、羽生結弦の公演もまたこの世界の、いや歴史上におけるニジンスキー、いやいやピョートル・チャイコフスキーのバレエ三部作『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』『白鳥の湖』のように後世、人類史における重要な作品となることでしょう。
もちろんそれを伝える役割は私たちにあります。私たちも時代の、歴史の創作者、ずっとそう言い続けています。
ディック・バトンは「劇場」と競技会時代の羽生結弦を評しました。最高の褒め言葉だと思います。
羽生結弦は別の次元の存在だ。彼はどこかで見た演技はしない。
〈結果はついてくるだけのもの。私が評価するのはその演技が正しく「劇場」であるかどうかだ。独創的で客のつく劇場だ。羽生結弦こそそれだ。客を魅了する。満員御礼だ〉