成田悠輔「個人によって物の値段が異なる社会がやってくる」そして誰もが比較されない社会へ

あるものが100円で販売されていて、所得の多寡にかかわらず、誰しも100円を出して購入する。私たちが「当たり前だ」と思っているこのような取引のあり方に、経済学の成田悠輔氏は「違う物理法則で生きる違う星の生物を、同じルールでスポーツさせて競わせてるようなものではないか」と疑義を呈する。今後起こりうる価格システムの変化について、成田氏が考える。全3回中の3回目。
※本稿は成田悠輔著「22世紀の資本主義 やがてお金は絶滅する」(文藝春秋)から抜粋、再構成したものです。
第1回:成田悠輔「わからなさこそが資本主義」なぜ金より株が上昇したのか
第2回:なぜ人はブランドバッグをありがたがるのか…成田悠輔「人は現実よりも幻想を評価する」
目次
「誰が買っても同じ値段」システムは衰退する
滅亡まで極端でなくても、衰退は運命である。一次元化され匿名化されたお金、いま私たちが何の疑いもなく受け入れているお金が支える「一物一価的な全員共通価格システム」の衰退だ。どういうことだろうか。
物やサービスに値段がついていて、その分だけお金を払えば誰でも買える。つまり値段は全員共通で誰が支払うかを問わない。こういう仕組みに私たちは慣れ親しんでいる。そんな一物一価的な全員共通価格システムが支配的なのは、またしても記録・データが貧弱だったからだろう。それぞれの人ごとに属性や履歴をたどってその物やサービスを手に入れるに値する人かどうか、いくらで取引するのがいいかを決めることが、これまではデータ的にも通信・計算環境的にも難しかった。
売り手と買い手が出会うたびにいちいち価格交渉するのも面倒すぎる。だから全員共通価格システムを使えば、適切な買い手の選別を粗く雑に代行してくれる。特に単価が小さいものについては。一人一人にとってちょうどいい価格を計算したり交渉したりする手間も省いてくれる。価格の分だけお金を持っていればどんな嫌われ者でも前科者でも買える、単純明快で透明な仕組みだ。
経済の記録が実態に追いつくにつれ、しかし、データの制約は緩んでいく。一人一人のデータ履歴を追って、その人が何者か、取引していいか、いくらくらいの値段をつけるのがよさそうか調べ決めやすくなっていく。通信や経済の制約も緩んでいる。一物一価的な全員共通価格システムを使わなければならない必然性が緩んでいくことになる。
これまでも、交渉や一人一人にバラバラに配られたポイントやクーポンによって価格が人によって違うという状況はそこそこあった。それが全面化し、自動化し、あらゆる場所で不眠不休で起きる。お金で測られた全員共通価格に投影されてこなかった様々な履歴情報が声を上げはじめる。
実際、今の一物一価のお金・価格や税金の仕組みは奇妙である。十席しかしない小料理屋も、数千万人が自室で遊ぶスマホゲームも、同じお金で比べられて同じ税制があてはめられる。違う物理法則で生きる違う星の生物を同じルールでスポーツさせて競わせてるようなものではないだろうか?
こんな不思議なことになっているのもまた、事業や企業を売上とか従業員数とか雑すぎるデータでしか捉えられない粗さのせいである。より豊かな属性や履歴に基づく一物多価経済は、より細かな区別によって価格も税金もそれぞれの個人や企業ごとにより繊細にバラバラにできる。
「金のありそうな人には高く売る」社会へ
わかりやすい例がデジタル金融だ。経済履歴データの膨張は、融資や保険などの金融の個人化を推し進めている。個人化、つまり商品や取引の内容や条件を個人ごとに変えるカスタマイズ、パーソナライズだ。経済活動の記録の量と質が高まるほど、金融契約の設計や実行に利用できる情報が増える。それが個人化を生む。典型がウェブプラットフォーム企業による金融サービスで、スマホ上の個人の行動履歴に基づき融資やカードの与信を細かく個別最適化して自動で即決する。
いくら借りられるか、利子(=借金という商品の値段)がいくらか、個人ごとにバラバラになっていく。ウェブ企業による金融サービスが伝統的な金融業や銀行業界を脅かしてるのはよく知られている通りだ。
その一歩先に訪れるのはあらゆる価格が人それぞれに変わる社会だろう。商品やサービスの価格が、個人ごとの記録に基づき個別最適化され、価格が人により、時間や場所や状況により異なる一物多価の世界が現れる。なんのことはない、デジタル金融や価格が交渉で決まるような相対取引の拡張で、金のありそうな人には高く売るとか、過去の履歴から信用できなさそうな人には高く売るといったことの自動化と全面化だ。価格の個人化が経済のあらゆる領域へと広がっていく。
価格の個人化は金融の外でも起きはじめている。アメリカでアマゾンに次ぐ規模のEコマース企業Wayfairは、同じ商品の価格が閲覧者により異なる仕組みを導入したという。各閲覧者が過去に何を見ていくらで何を買ったか、その履歴情報に基づいてその人がどれぐらい価格に敏感かを推定。価格を気にしなさそうな人にはちょっと高めの値段を提示する。過去データに基づき機械が価格を個別最適化し、人によって同じ物でも価格が変わる。
オンラインで企業と求職者をマッチングするサイトで、サイトを利用する顧客企業ごとにサービス価格を変える試みもある。各顧客の属性や行動履歴により価格が分岐する世界になりつつある。スマホの移動情報を使い、コンビニの売れ残り商品の割引クーポンを最寄り駅に向かって移動中の客にだけ配信するといったこともすでに行われている。位置と移動の情報に基づく価格の個人化である。
もちろんホテル・航空・イベントチケット・電子書籍などでは、各時点で在庫状況によって価格が変わる動的価格(ダイナミック・プライシング)が古くから行われてきた。動的価格と個人価格を組み合わせれば、時空間や個人の属性・行動履歴空間上で価格が柔軟に変わる仕組みになる。誰がいつどこで買おうとしているかで値段が自在に変わる世界だ。
柔軟な一物多価の価格設定をうまく行えば、より多くを払ってもいい人にはより多く払ってもらい、事業者は収益を改善できる。さらに面白いことに、消費税の満足度も改善できる場合がある。うまく作られた一物多価は売り手・買い手の両方を満たせることになる。
「年収1000万円より年収500万円の方が購買力がある社会」がやってくる
もはや一つの価格というものはない。こうなると、価格やお金の意味が変わっていく。価格やお金が人それぞれに高次元化し、極端な場合には人の数と同じだけの数の価格が存在することになる。同じ一万円の購買力が人により異なり、ある人の収入や資産を別の人のそれと比較することも意味が薄れていく。
あなたが年収500万で私が年収1000万でも、あなたの方がずっと愛され感謝されているいい人で、あなたの500万の方が私の1000万よりずっと購買力があるといったことがありえるからだ。価格が個人ごとに違ってしかも他人にはわからなければ、お金を使った経済力の比較が難しく無意味になっていく。お金は過去の経済活動の記録をより多角的に表現する装置へと脱皮する。
こうなると、価格やお金は私達が「価格」や「お金」として慣れ親しんでいるものとは趣を異にするものになっていく。かつては、もともとは高次元で手触りを持った経済活動とその「価値」を、良くも悪しくも一次元に単純化する装置が「価格」や「お金」だった。価格が多次元化し個人化した経済では、しかし、「価格」や「お金」自体が高次元で手触りを持った何かへと羽を広げる。「価格」や「お金」はその名に反して、高低大小を競ったり比べたりすることが難しい何かになる。